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西鉄バスジャック事件



西鉄バスジャック事件(にしてつバスジャックじけん)は、2000年(平成12年)5月3日に発生した当時17歳の少年によるバス乗っ取り(バスジャック)事件である。本件は西鉄高速バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件のほかにもインターネット掲示板の2ちゃんねるに犯行予告の書き込みが残されており、その時のハンドルネームからネオむぎ茶事件(ネオ麦茶事件)とも呼ばれた。

事件の概要


2000年5月3日12時56分頃、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道の高速バス「わかくす号」(西鉄バス佐賀営業所所属車両、登録番号:佐賀22き ・258、車番8544、型番はU-RU2FTAB、1991年(平成3年)式)は、定刻通りに佐賀第二合同庁舎を出発した。西鉄天神バスセンターには14時6分に到着する予定であった。

ところがその後の13時35分頃、九州自動車道の太宰府インターチェンジ付近で刃渡り約40センチの牛刀を持った少年が運転手に牛刀を突きつけ乗客に対し「天神には行くな、このバスを乗っ取ります」「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と言いながらバスを乗っ取った。少年は西鉄天神バスセンターに行かずに九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、乗客に対し様々な指示を繰り返した後、最後にカーテンを閉めるように指示。その後、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけ、2人が負傷し女性1人が死亡した。日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となった。

金融機関や航空機やタクシーとは異なり、当時のバスには犯罪者に知られずに内部の異常事態を密かに外部に知らせる仕組みやマニュアルがなかった。乗務していた運転手によると、ハザードランプの点灯やパッシングをするなど外部に異常事態を伝えようとした。通報があったのは北九州市門司区の九州自動車道新門司インターチェンジとされている。対向する車両の運転士が気づいていたか否かは公になっていない。

なお、このころ西鉄佐賀自動車営業所では西鉄天神バスセンターへ到着しない当該バスに対し所内から何度も無線で当該バスに応答を求めていたが、応答が無かった。無線は北九州市門司区辺りまでが交信可能エリアだったため、山口県に入ってしまうと無線が途切れる可能性が高かった。西鉄は15時30分頃に、本社内に対策本部を設置し約20人が情報収集に当たったがこの時点ではまだなにも分からず、さらに乗っ取られた高速バスのわかくす号は予約制ではないため、乗客の身元の確認に時間がかかった。また、当日は博多どんたくの期間中で、バスセンターや高速バスの利用者も多かった。

バスは、九州自動車道から関門橋および中国自動車道に入った。この頃には山口県警に事件は周知されており高速道路交通警察隊がバスを追尾していた。警察が追尾を開始していた頃、山口県の小郡インターチェンジ付近で走行中のバスから高速道路に飛び降りて負傷している乗客を警察が発見し、乗客1名を救出。この乗客の証言により警察はバスで負傷者が出ていることを把握することとなった。バスは山口ジャンクションから山陽自動車道に入り、下松市の下松サービスエリア付近では警察車両に行く手を阻まれ減速したバスから身を乗り出した乗客1人が、警察に救出された。この頃にはマスコミ各社も事件の報道を開始しており、この男性乗客が救出される瞬間はテレビでも中継された。警察は山口県での解決を断念して封鎖を解除、バスを広島方向へ走らせた。その直後、犯人の少年は逃げた乗客の「見せしめ」として、更なる凶行へ及んだ。バスは広島県へ入り、広島市安佐南区の武田山トンネル付近で男性客全員を解放した後、東広島市の奥屋パーキングエリアに入り数時間停車した。ここで警察の説得により犯人は差し入れを提供するという条件で負傷した人質3人を解放したが、うち1人はすでに失血死していた。膠着状態が続いた後、バスは再び動き出して隣の小谷サービスエリアまで行き、ここでも長い膠着状態となった。ここで広島県警は、食料や簡易トイレ、毛布などを乗客に差し入れた。少年の家族も説得の為に現場に到着したが、少年はこれに応じることを拒否した。バスが停車中の小谷サービスエリア近くでは、福岡県警と大阪府警の特殊部隊 (SAT) によって、突入任務を帯びた機動隊員と機動捜査隊員に速成の訓練ならびに図上演習が施されていた。

事件発生から15時間半後の4日午前5時過ぎ、小谷サービスエリアで停車中に警察官による説得中に「手袋を路面に落とす」という突入の合図を受けた15名の隊員の突入により少年は逮捕された。だが、この突入で機動隊員1名が少年に左足を切り付けられ負傷した。この事件の様子はテレビで生中継された。

犯人の少年が「ネオむぎ茶」の固定ハンドルネームを用い、犯行前にインターネット掲示板「2ちゃんねる」に書き込みを行っていたことや、SATが出動したことで話題となった。SAT隊が突入する際、音響手榴弾(スタングレネード)が日本で初めて使用され、以後人質籠城事件で広く使われることになった。

その後、犯人の少年に対しては佐賀家庭裁判所で医療少年院への送致が決定した。2006年2月1日、加害者の元少年(成人していたため、「元少年」と記載)が同年1月中に仮退院していたと報道された。少年は社会復帰への訓練を始めたとされる。

動機


少年は中学校でいじめに遭遇し、家庭内暴力で家族を悩ませた。親が学校にいじめの相談をするが、当の学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった。高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて踊り場から飛び降りるも、着地に失敗して腰椎を損傷する重傷を負い入院。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後、校風が合わないという理由で9日だけ登校し、5月にすぐに中退してしまった。

不登校となった少年は大検を目指していたが、親にパソコンをねだり、2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中、家庭内暴力がますます悪化していく。飼い犬を叩き、父親に名古屋・大阪などへの日帰りドライブを頻繁に強要した。周辺住民も、少年の妹の悲鳴も聞いている。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演し、著書を出している精神科医の町沢静夫に連絡を取って相談、町沢は親にも少年にも一切面会しなかったが親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話した。肥前療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可し、即日入院となった。

国立肥前療養所に入院が決定した時、少年は親に対して絶対許さないと発言していたが、実際に入院すると医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。やがて、少年と親と医者との話し合いの上で少年の外出許可が出された。病院に帰ってから、愛知県で少年が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、少年は手記にこの少年犯を褒め称え、自分も早く少年のようになりたいと書いた。この手記の内容をまったく知らなかった医者は、少年の外泊許可を出した。帰宅した少年は当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う計画だったが(各教室で生徒を刺して籠城し、注目を浴びたら飛び降りて死ぬつもりだった[3])、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックへと目的を切り替え実行に至ることとなった。

事件後、町沢静夫はマスコミや著書を通じて、少年や親を擁護する一方、国立肥前療養所を批判した。これを受けて肥前療養所の記者会見では院長が、少年に一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して、「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢精神科医に怒り心頭に発している」と述べた。後日、町沢の態度に対して精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された。

2000年、町沢静夫は『論座』7月号から10月号にかけて、事件の対応について矢幡洋と論戦を繰り広げた。

2ちゃんねる


犯人の少年は2ちゃんねるが創設されてから間もない頃、「キャットキラー」という固定ハンドルネーム(コテハン)を用いて2ちゃんねるに書き込みを行っていた。しかし、発足間もない当時の2ちゃんねるではコテハンの存在が嫌われており、コテハンがしつこく居座るスレッドにはいわゆる荒らし(大量の無意味な書き込みやブラクラの貼り付けなど)が行われ、コテハンの発言を意図的に遮っていた。当時はモナーやギコ猫といったアスキーアートも浸透していなかった。
これを不愉快に受け取った犯人は「キャットキラー」を名乗り、ギコ猫を貼り付ける匿名ユーザーに対し挑戦的な言動を仕掛けた。2ちゃんねると言うコミュニティで煙たがられることに逆上し、わざと居座ることで匿名ユーザーの感情を逆なでして、無意味な書き込みでスレッドが回転することを煽った。そのうち「1000レス目を取ったほうが勝ち」という勝負を提案した少年は、1000レス目に至るまで短い書き込みで自分の名前「キャットキラー」入りの投稿を繰り返したが、999レス目の後で「1000, 1000, 1000, 1000, (中略)僕の勝ち!」という比較的長めの投稿を書き込んでいるうちに他人が1000レス目を書き込んだ。この頃は1000までのレス数制限は設けられていなかったため、少年の書き込みは1001レス目となった。これに逆上した少年は罵詈雑言を書き込んだ後でキャットキラーの名前を返上することを宣言した。名無しに戻ることを予想していた匿名コミュニティの意思に反して「キャットキラーからネオむぎ茶に改名する」とコテハンを名乗り続けることを宣言し、余計に反感を買う。さらに「ネオむぎ茶」というスレッドを立てて書き込みを募ったが、匿名ユーザーたちからの反応は「氏ね、と言われたいんですか?」などとそっけないものであった。
このスレッドに少年は、友人からの書き込みという名目で「彼は精神病院に入院しました」と書き込むが、少年は普段から友人がいないとこぼしていたためこれが本人の書き込みであるとうわさされる。実際、少年はバスジャック犯行前のある時期に精神科病院に入院していた時期があり、犯行時は仮退院中という扱いであった。仮退院の翌日、犯人は近くのホームセンターで包丁を購入したときに再び「ネオむぎ茶」のハンドルネームを使い、2ちゃんねるにスレッドを立てて「ヒヒヒヒヒ」とだけ書き込みをのこす。これが事実上の犯罪予告とみなされ、2ちゃんねるに対するマスコミの批判的な報道がなされた。
また2ちゃんねる内で、少年に対して犯罪を煽るような書き込みを何度も繰り返していた東京都内の男性が、事件後佐賀県警から事情聴取を受けている。なお、この男性は2000年に司法試験に合格して弁護士となった。

名前の由来

「ネオむぎ茶」の名前は、2ちゃんねる創設時の常連利用者でハンドルネーム「むぎ茶」を称していた人物を模倣して、ギリシア語の接頭辞「ネオ」をつけたものである。草創期の2ちゃんねるは様々なシステム上の不備を抱えていた。むぎ茶は「スーパーハカー」( = スーパーハッカーの意味。当時の2ちゃんねる内で流行した隠語で、自称「パソコンに詳しい」人を揶揄したもの)の一人で、2ちゃんねるの弱点をみつけては荒らしを繰り返し有名コテハンとなった。

事件の影響と対策など


社会的影響

この事件は、本件の犯人が1997年(平成9年)に発生した神戸連続児童殺傷事件の犯人と同学年でもあることもあり、「1990年代以降の日本の少年犯罪凶悪化を象徴する事件である」という人もいる。また、この事件の直前には愛知県豊川市で17歳の少年が面識のない主婦を殺害する豊川市主婦殺人事件が起こっており、両事件の「犯人が17歳」という共通点をマスコミが過度に強調して「キレる17歳」という言葉が世間で流布され、17歳(あるいは10代)に対する社会的偏見を惹起した。また犯人の世代から「理由なき犯罪世代」と呼ばれることもあった。

なお犯人は上述した神戸の事件の犯人を崇拝し、3月に「酒鬼薔薇聖斗」と署名した犯行予告を各所に送っていた。またバスジャック直前に発生した同年代の少年による豊川市事件については事件直前の手記で人殺しをした少年を賛美する記述をしている。

またこの事件は、本件の約3カ月前に発覚した新潟少女監禁事件と共に引きこもり問題の社会的認知度を大きく上昇させた。当初は引きこもりすなわち犯罪者予備軍であるように扱われ、事件以前からこの問題に取り組んでいた精神科医の斎藤環は後年「実情を知らずに印象だけで語る人たちとの戦いが、まず私の仕事でした」と語っている。

模倣犯

この事件あるいはハンドルネームを模倣した事件がいくつか起きている。

・2001年 - 2ちゃんねるで「ネオむぎ酒(※麦酒)」と名乗る人物がYOSAKOIソーラン祭りを妨害する犯罪予告を書き込み、恐喝容疑で書き込みを行った少年が補導された。
・2002年11月 - 2ちゃんねるで「ネオ烏龍茶」と名乗る人物が小田急電鉄に対する爆破予告を2ちゃんねるに書き込み、威力業務妨害容疑で書き込みを行った男が逮捕され、2003年6月に東京地裁で執行猶予付きの有罪判決となった。
・2001年1月14日 - 京都市営バス(路線バス)でカッターナイフで乗客・運転手を脅して乗っ取るバスジャック事件が発生、大山崎町を走行している事を不審に思った対向車(マイカー)のドライバー(阪急バス社員)が通報・追跡し、茨木市内で逮捕・解決した。
・2008年7月16日 - 豊田市の東名高速道路上り線走行中の東名ハイウェイバス(JR東海バス運行)車内で果物ナイフで運転手を脅して乗っ取る「愛知バスジャック事件」が発生、銃刀法違反容疑などで逮捕された容疑者は山口県の在住で家出をしていた中学2年生の少年だった。同少年は母から西鉄バスジャック事件について聞いていることを供述した。

バス事業者での対策

日本バス協会ではこの事件を機に、バスジャックに対する統一対応マニュアルを作成し各種の緊急連絡体制の整備を決めた。バス車両にも各種のバスジャック対策装備品の装着が進められている。また車内の異常事態を車外から察知できるようにするため、ハザードランプの高速点滅や車両後部に設けた非常灯の点灯、行先表示に「SOS 」「緊急事態発生」などと表示できるようにした。また、バスジャック保険も整備された。

西鉄では独自の対策として、ヘリコプターでの追跡時に上空から車両を特定できるよう、屋根上に車両番号を表示するようになった。その後、東急バスなどのように追随した事業者がある。ただし、西武グループの高速・観光バスでは総帥の堤義明がヘリコプターで視察する目的で1980年代には導入している。ほかにも、車外への脱出が容易にできるよう一般路線バスについてそれまでの逆T字窓からT字窓へ仕様変更をした。

西鉄は、グループ会社の全高速バス395台(当時)に緊急通報装置を搭載し独自の対応マニュアルを作り、毎年訓練を行ってきた。2014年7月にバスジャックが発生したが、運転手の通報装置作動により会社側は緊急態勢を取り、バス後部に表示された「SOS110番へ」の文字を見た複数のドライバーからは県警や西鉄に通報があり、事件解決の助けとなった。

警察

広島県警察ではこの事件を教訓に刑事部捜査第一課に突入チームHRT(Hostage Rescue Team)を創設しバスジャックや人質立て籠もり事案に対処することが可能となった。


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