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安室奈美恵実母殺害事件



安室奈美恵 実母殺害事件(あむろなみえじつぼさつがいじけん)は、1999年(平成11年)3月、沖縄県国頭郡大宜味村において、歌手の安室奈美恵の実母が義弟によって殺害された事件である。

概要


1999年3月17日午前10時40分頃に歌手の安室奈美恵(当時21歳、以下安室と表記)の実母(当時48歳)が再婚相手の実の弟(当時44歳)に車で轢かれた後にナタで殴られる事件が発生。実母は病院に搬送されたが午前11時48分に死亡が確認された。殺害を犯した叔父は事件から4時間後に山中で死亡しているところを発見された。農薬による服毒自殺だった。

安室は前年の1998年に子供(長男)を出産し、12月に歌手活動を再開していた。事件当日の3月17日はニューシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日であり、当日は出演するアサヒ飲料「nice One」CMに関する発表イベントが予定されていたが、実母殺害事件の影響で急遽キャンセルとなった。

その後、マスコミは有名歌手の親族間における殺人事件としてセンセーショナルに取り上げ、犯人が自殺したことで不明となった殺害動機を探り、実母と叔父は以前からトラブルが絶えなかったことなどを報道した。そのため、一時安室のプロモーション活動を停止せざるを得ない状況に追い込まれた(事件12日後の3月29日に放送されたフジテレビ系音楽番組「HEY!HEY!HEY!」で活動再開)。

時系列


3月17日

この日は産休後の復帰第2弾シングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日であり、朝から情報番組などで解禁されたPVが取り上げられていた。

  • 午前10:40
    • 沖縄県大宜味村喜如嘉の道路上で安室の実母とその再婚相手(以下「夫」)が二人で反対側に渡ろうとした際、先に横断歩道を渡っていた実母が突然やってきた夫の弟(以下義弟)の乗る車に轢かれた。それを見て驚いた夫が実母を助けに駆け寄ろうとした時に再度Uターンしてきた義理の弟の乗る車が衝突、夫は避けようとするがボンネットに伸し上げられ軽傷を負う。その後さらに車がUターンしてきた為、夫はなんとか実母を近くにある電柱の影まで引っ張って車を回避しようとする。義弟は車を降り今度はナタのような物で襲い掛かって来た為、夫が近くに落ちていた鉄パイプで応戦する。やがて周辺住民や親族が集まりだしてパニックとなり、義弟は再び車に乗りその場を逃走(以上後の夫会見談より参考)。
  • 午前10:47
    • 救急隊到着、実母は意識不明心拍停止状態のまま病院へ搬送。
  • 午前10:50
    • 場からの連絡を受け、沖縄県警察本部と各署は山狩りを含む広域捜査が必要と判断、150名の捜査態勢を発足させる。
  • 午前11:17頃
    • 病院到着、大事を取って夫も入院。
  • 午前11:48
    • 搬送されていた実母の死亡を確認。
  • 午後0:20頃〜
    • 事実関係がはっきりしない状態でマスコミや関係者に第一報が届き、情報が錯綜し始める。この日午後2時からのイベントに参加するため会場入りしていた安室には、当初マネージャーを通し「お母さんが事故に遭ったらしい」と含みを持たせて伝えられた。安室は慌てて自身の姉の元に電話をするも繋がらず、確認が取れないことに焦りと苛立ちで落ち着かない様子だったという。
  • 午後1:10頃〜
    • 関係者から安室に事実がようやく知らされ、事件を聞き付け会場に殺到していたマスコミには主催者側からイベント中止を発表。事件が大きく取り上げられ始め、TVでも一報を生中継した。
  • 午後1:30頃
    • 昼過ぎから所属事務所にも取材陣が殺到しており、急遽、事務所専務が応対。安室は全ての仕事をキャンセルし沖縄へ向かう用意をするが、航空チケットが修学旅行シーズンと重なりすぐには入手困難だった。もしこの事件がなければ安室は20日に沖縄入りし、稲嶺惠一沖縄県知事(当時)を訪問する予定があった。
  • 午後1:45頃
    • 捜査員が事件現場から5km離れた山中の農道で義弟の車を発見、中にいた義弟らしき人物を意識不明のまま病院へ搬送。車内からは殺虫剤の粉末などが見つかった。
  • 午後2:50頃 -
    • 安室がようやく沖縄行きのチケットを確保したとの情報が入り、マスコミが羽田空港に集まりだす。
  • 午後3:30頃 -
    • 日刊スポーツ、スポーツニッポン、スポーツ報知が都内銀座・有楽町などでこの事件に関する号外を配布。
  • 午後3:40頃 -
    • 安室が夫のSAM(trf)と一緒に羽田空港に到着するが、待ち構えていた150人以上とも言われるマスコミやカメラマン、更に騒ぎを見て集まりだした野次馬に囲まれ前進は困難を極める。一人のカメラマンが安室の表情を撮ろうと至近距離でレンズを向けた際には、SAMがそれを払い除けた。しかし憔悴しきった安室は足元もおぼつかず報道陣にもみくちゃにされ転倒し、その後SAMに支えられながら搭乗手続きをしている際には声を上げて泣きじゃくる様子が翌日の各局ニュースで報道された。
  • 午後3:55
    • 搭乗した飛行機にも報道陣が多数いた為、航空会社側が安室の心情に配慮し、機内アナウンスにて取材規制を促した。直接インタビューは無かったものの、小型カメラにより座席と着陸して降りるまでの一部始終がその後TVで放送されている。
  • 午後4:10
    • 沖縄の病院で義弟の死亡が確認される。後に警察は自殺と断定する。
  • 午後6:50頃 -
    • 安室夫妻が那覇空港に到着。既に到着ロビーも東京同様沢山のマスコミと野次馬で埋め尽くされていたため、安室側は混乱を避けて関係者出入り口から車に乗り込み、人混みの中をパトカーに先導される形で警察署へと向かう。
  • 午後8:03
    • 警察署に到着後、霊安室にて安置されていた実母と約5分の対面。別室にて約25分、事件に関する説明を受ける間も安室は終始無言だったという。
  • 午後8:40
    • 警察署を後にし、県内のホテルへ。

その後の関連事項


  • 事件発生直後から連日安室の事務所・ファンのホームページにはたくさんの人々から励ましの手紙・メールが送られた。また3月20日に放送されたNHK「ポップジャム」(収録は事件前)では、直前に発生していた実母殺害事件に配慮して、安室の出演部分をカットして放送されたが、TBS「うたばん」ではカットせずそのまま流し、画面上にテロップを表示するに留めた。
  • 3月25日
    • マスコミなどに事件後初のコメントFAX(関係各所に約2000通)。短い文章ながらも安室はこの中で「遺族・兄・姉とも話し合い、与えられた仕事を頑張ること、それが母の願いではないかと受け止めております。」(一部抜粋)と綴った。
  • 3月27日
    • 事件の影響で休止していたアサヒ飲料「nice One」のCMがようやく解禁される。
  • 3月29日
    • フジテレビ「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」の生放送でTV復帰を果たす。安室がステージに登場した瞬間、観客からは割れんばかりの大歓声が起こり、所々で「安室ちゃんガンバレ」などのプラカードを掲げ会場全体で彼女を全力でバックアップした。さすがにこの日は司会のダウンタウンの二人も口が重く緊張した雰囲気が漂っていた。それに安室は「すいません、ご心配おかけしました、元気です。」と第一声コメントし、笑顔で応対した。そして新曲「RESPECT the POWER OF LOVE」を歌い切った。その後のミュージックステーションの生放送では涙ぐみながら音程を少し外したが最後まで歌い上げた。
  • 5月4日
    • この日は実母の四十九日が沖縄の実家で行われていたが安室は再び待ち構えてくる報道陣による影響を考え欠席した。

後日談


事件以降、安室は自分からこの件に関して触れることは一切無いが、時折雑誌のインタビューなどで少しだけ言及することがある。

  • 1999年雑誌「JUNON」9月号では最近のマスコミのプライバシーを省みない行動をどう思うかの質問に対して安室は「参りましたねぇ〜あれには。マスコミが嫌いになりそうでしたよ(笑)、私の何にそんなに興味があるの?って…(一部抜粋)でも、今は大丈夫。…一人で悩んでいたら、結構耐え切れないものがあった。子供の笑顔には救われる時がある。(省略)」と語っている。
  • 2005年1月の「UK TIMES」インタビューで安室は事件の時のことについて「母の死は私を地獄へ突き落とした。もう何もできなかった。けど、ずっとそうもしていられなかった…私も一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい。」(翻訳参考)と少し踏み込んで語った。
  • 2006年に行われたツアー「namie amuro BEST tour “Live Style 2006」のライブパンフレット最後のページに唯一英文で「私が心から望んでいたこと、それはあなたとデビュー15周年を一緒に迎えること、そして記念すべきステージでの喜びを一緒に味わうことでした。お母さんに届くことを祈りながら歌います。母に愛を込めて安らかに眠れR.I.P.」と母に向けたメッセージが綴られている。
  • 2008年雑誌「AERA」(08,5,12号)のインタビューでも安室は「母のことがあってからずっと辛かった。もう歌うことも「安室奈美恵」でいることもやめたいと思った。でも、今がどん底でもうこれ以上落ちることは無い…そう考えると少しずつ楽になっていった。」(抜粋)と語っている。

リンク


Wikipedia 安室奈美恵実母殺害事件



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