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Wikipediaより

日本航空123便墜落事故



日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119、製造番号20783)が、 ボーイング社の不適切な修理が原因とされる後部圧力隔壁の破損により、垂直尾翼と補助動力装置が破損し油圧操縦システムも全喪失、結果迷走飛行へ陥った末に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落し、乗員乗客合わせて524名中、520名が死亡した、航空業界において、単独機で史上最悪の航空事故で、史上最悪の墜落事故である。

概要


運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2018年3月の時点で最多であり、墜落事故および単独機の航空事故でも世界最多である。

夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。特にこの事故を指して『日航機墜落事故』『日航ジャンボ機墜落事故』と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故(後述)後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が、事故原因と推定されている。

事故機


123便に使用されたボーイング747SR-46型機(機体番号JA8119)は1974年(昭和49年)1月に製造された。本事故を受け、1985年(昭和60年)8月19日付で登録抹消された。本機は日本の航空会社で運航していた同型機が墜落事故によって登録抹消された初のケースであり、ボーイング747型旅客機が日本の航空会社から全機退役となった2018年現在、日本国内の同型機において墜落事故により登録抹消された唯一の機体である。

墜落前の事故

1978年(昭和53年)6月2日、羽田発伊丹行き115便として本機が伊丹空港に着陸しようとした際、機体尾部が滑走路と接触し中破する事故が発生したが(日本航空115便しりもち事故)、この事故によって生じた損傷の修理を製造元のボーイング社が行った際、後部圧力隔壁を修理する中で発生した作業ミスが本事故の主原因と結論付けられている。

1985年2月から本事故までの間、本機では客室後部の化粧室ドアの不具合が28件発生している。事故調査報告書は、しりもち事故によって生じた機体の歪みによって化粧室ドアの不具合が発生した可能性は否定できないとしている。

墜落日航ジャンボ機の乗客・乗員名簿


1985.08.14 東京朝刊 4頁 特設ニュース面より
日本航空123便ボーイング747(ジャンボ)機の乗客氏名や旅行目的などと、乗員氏名は次の通り。(敬称略)

 ▽明石守(54)▽孫の真紀代(3)=明石エンジニアリング代表取締役、大阪府豊中市本町9ノ8ノ10。東京に商用のため、孫娘を伴って日帰り出張した帰り。

 ▽秋山寿男(48)=松下電器システムエンジニアリング本部課長、枚方市池之宮2ノ7、出張からの帰り。

 ▽浅野潤一(36)=浅野木材取締役、宝塚市雲雀丘山手1ノ15ノ7、出張の帰途。

 ▽浅野真一(34)=兼松エレクトロニクス営業推進課主任、奈良市鳥見町4ノ2ノ10ノ401、東京日帰り出張の帰途。

 ▽新井立悦(32)=新井ゴム専務、大阪市生野区巽西1ノ2ノ3、東京日帰り出張の帰途。

 ▽新井健次(32)=会社員、福岡市、夏休みで帰省。

 ▽新井健作(42)=工務店社長▽長女真澄(12)豊中4中1年。

 ▽有田秀止(29)=池田物産社員、横浜市旭区東希望ケ丘。夏休みで実家に帰る途中。

 ▽芦田育三(49)=象印マホービンデザイン室長、尼崎市南武庫荘5ノ19ノ26、東京へ日帰り出張。

 ▽麻木喜一郎(31)出光興産市原工場勤務▽妻良子(29)=夫婦で夫の母の初盆に帰省中。

 ▽猪飼善彦(37)▽長女の小夜(9)▽長男潤(7)=文具店経営、滋賀県栗太郡栗東町小野。小夜、潤は同町立葉山東小4年と2年。父子3人で科学万博を見ての帰り。

 ▽井ノ上一浩(15)=大阪市立淀川中3年、大阪市都島区大東町3丁目3ノ5ノ307、科学万博などに行っての帰り。

 ▽井口利明(50)=塩野義製薬企画部抗菌製剤担当部長、尼崎市立花町2ノ16ノ10、出張から帰阪中。

 ▽石井幸江(36)=主婦▽長女博美(15)=吹田3中3年、吹田市中の島7ノ28、2人で東京の兄の家に行っての帰り。

 ▽池孝三(42)=コンピューター会社経営、奈良市芝辻4ノ2ノ9。

 ▽池上重雄(27)=山崎建設勤務、箕面市牧落2ノ22ノ9、帰省。

 ▽井元淳光(48)=燃料・セメント販売会社役員、吹田市藤白台2ノ2ノ6、日帰りで東京出張の帰り。

 ▽池田隆美(53)=東レ物流常務=茨木市、商用で東京に出張、この便で帰阪と連絡。

 ▽池田五郎(41)=安田火災海上研修生、鎌倉市稲村ガ崎1丁目、私用。

 ▽生駒隆子(26)=無職、池田市桃園1丁目7ノ22、東京へ遊びに行っての帰り。

 ▽石井裕之(59)=敷島紡績専務、兵庫県西宮市甲陽園西山町10ノ18、東京へ日帰り出張。

 ▽石川貞昭(52)=東洋ガラス取締役、千葉市園生町、出張。

 ▽石倉六郎(41)=石倉工業社長、茨木市上野町28ノ301、東京日帰り出張の帰途。

 ▽石田一雄(60)=阪神電鉄常務、神戸市須磨区高倉2丁目1、運輸省への社務で日帰り出張の帰途。

 ▽石崎恵美子(36)=設計会社事務員、滋賀県守山市今宿町72、観光旅行の帰途。

 ▽石野喜一(34)=神栄石野証券社長、西宮市二見町。

 ▽石原孝一(53)=石原ネット社長、大阪市東住吉区湯里、日帰り出張の帰途。

 ▽泉谷淳子(20)=都ホテル大阪社員、大阪府河内長野市南花台4ノ19ノ7、帰省。

 ▽市浦昭(47)=日建設計設計部副部長、千葉市さつきが丘1ノ36ノ45、大阪経由で福岡へ出張の途中。

 ▽市川一彦(53)=KK市川化学研究所社長、羽曳野市羽曳が丘5ノ17ノ1、東京日帰り出張の帰途。

 ▽一木允(56)=松下電器産業システムエンジニアリング本部の部長、大阪府守口市日光町23ノ206。

 ▽出梅治(33)=大鵬薬品勤務▽妻寿子(31)▽長男啓介(3)、転勤のため、家族で東京から大阪に赴任の途中。

 ▽伊藤昭平(20)=仏教大1年、西宮市甲子園四番町12ノ8。

 ▽伊藤寛之(29)=日本興業銀行大阪支店勤務、西宮市伏原町。

 ▽伊藤寿信(50)▽妻誠子(45)▽長女高校2年妙子(16)▽次女中学1年和美(13)=タクシー運転手、大阪市城東区古市3ノ17ノ15ノ203、一家4人でディズニーランド観光からの帰途。

 ▽井上幹雄(41)=うどん会社部長、横浜市保土ケ谷区鎌谷町114、単身赴任で、東京へ出張の帰り。

 ▽井上久子(58)▽孫の理抄(10)▽同健人(6)=理抄、健人は大阪府泉北郡忠岡町の東忠岡小4年と1年。3人で3泊4日の日程でディズニーランドなどを見学しての帰り。

 ▽井原載二(50)▽妻富士恵(45)▽3女智恵(14)=鉄工所経営、大阪市平野区瓜破7ノ1ノ16、東京ディズニーランド、つくば博を見物した帰り。

 ▽今村欣治(41)=松下電工東京支店、大阪府寝屋川市点野3ノ28ノ18、14日から18日まで帰省。

 ▽岩切伸司(34)▽妻圭子(33)▽長男大樹(3)=高校教諭、東京都世田谷区宮坂2丁目。盆休みを利用、家族で大阪府大東市の実家に帰る途中。

 ▽岩井宏之(43)=電通大阪支社第6営業局営業部長、豊中市中桜塚4ノ2ノ1、出張帰り。

 ▽岩城美弥子(43)=主婦。東京都中野区上高田1ノ2ノ51上高田マンション305。

 ▽岩国忠弘(43)=三栄化学工業応用研究部主任研究員、茨木市紫明園11ノ113、東京へ日帰り出張。

 ▽上坂辰男(33)=神戸製鋼社員▽妻久枝(31)▽長女理枝(3)神戸市東灘区本山南9丁目。

 ▽上村登(51)=葬儀会社「加納」社長、豊中市新千里西町2ノ5ノ9、北摂葬祭業協同組合理事長で、東京での業界団体会合に出席しての帰り。

 ▽植田嗣治(55)=住友金属工業銑鋼技術部長、箕面市桜ケ丘3ノ3ノ11、東京への出張からの帰途。

 ▽浮田玲子(47)▽立子(22)=香川県小豆郡土庄町。兵庫医科大4年の立子の夏休みで、母娘で東京旅行しての帰り。

 ▽宇沢克彦(45)=会社員、大阪市西成区玉出西2丁目、日帰り出張の帰途。

 ▽内海浩一(25)=繊維会社員、東京都港区芝浦3丁目236、休暇があけ大阪へ帰任の旅だった。

 ▽鵜木利郎(28)=全日空大阪空港支店勤務、箕面市半町3ノ13ノ28沢田マンションA304、夏休み中で13日に勤務に戻る予定だった。

 ▽浦上郁夫(48)=ハウス食品社長、東京都新宿区若葉1ノ15ノ19、東大阪市の本社へ向かう途中。

 ▽榎谷郁雄(41)=伊藤忠商事大阪鋼板部厚板課長、堺市東上野芝町、東京本社へ日帰り出張の帰途。

 ▽頴川三郎(54)=大阪化学合金社長、西宮市甲東園1ノ4ノ8、東京への日帰り出張の帰途。

 ▽大竹国雄(44)=東京都葛飾区高砂5ノ22ノ8。

 ▽岡田光雄(51)=会社員、尼崎市東園田町6丁目、葬儀のため東京に行き日帰り。

 ▽落合由美(26)=日航国内線アシスタント・パーサー、大阪府豊中市蛍池北町2ノ5ノ10ノ611。

 ▽小野治雄(66)=紙会社専務、大阪府南河内郡狭山町大野台5ノ13、出張の帰り。

 ▽大島久(43)=歌手の坂本九さん。東京都目黒区柿の木坂2ノ18ノ1、所用で大阪へ。

 ▽大橋美知子(37)主婦▽太郎(10)八尾小4年▽理恵(9)同小3年=大阪府八尾市本町2丁目、東京ディズニーランドからの帰途。

 ▽大貫富太郎(40)=住友金属工業和歌山製鉄所経理課長、和歌山市古屋252ノ2、東京出張の帰途、横浜市に妻子を残して単身赴任中。

 ▽小川哲(41)▽妻昌子(41)▽長女知佐子(9)淡輪小3年=会社員、大阪府泉南郡岬町淡輪、ディズニーランドからの帰り。

 ▽奥川利明(39)=レノマ・コスメティック営業部次長、神奈川県大和市つきみ野5ノ8、商用で大阪へ。

 ▽大久保聡昭(50)=伊藤万中国部長、箕面市桜ケ丘3丁目1ノ31、東京へ単身赴任、帰宅途中。

 ▽奥田勝(38)=オーエ勤務、東京都台東区▽長男、奈良県当麻町立当麻小4年和志(10)=夏休みで東京に来ていた和志君が単身赴任の父と関西の家へ。

 ▽奥野順子(37)=大阪市立豊崎小学校教諭、同市東成区中本5ノ9ノ1、友人の久保和子さん(43)と2人で東北旅行からの帰り。

 ▽岡本強(37)=象印マホービン取締役営業副本部長、芦屋市六麓荘町3ノ36、東京への日帰り出張。

 ▽岡本大造(43)=松下電器ゼネラルオーディオ事業部アクセサリー営業部長、大阪府豊中市曽根西町4ノ18ノ19、日帰りで東京に出張。

 ▽岡本正至(55)=大阪府立布施工高定時制教頭、吹田市南金田2ノ18ノ12。6日から札幌市内で開かれた「第36回全国高校定時制通信制教育研究協議会」と教頭協会総会に出席しての帰り。

 ▽岡本武志(69)▽妻明子(60)=無職、尼崎市久々知1丁目。

 ▽岡山博一(32)=日本理容美容専門学校校長、大阪市生野区鶴橋1ノ6ノ34、1週間前から群馬県であった研修会からの帰り。

 ▽奥村隆亮(50)=竜奥興業社長、川西市湯山台1ノ32ノ6、日本水泳連盟評議員、社用で6日から東北地方を回り、帰阪途中。

 ▽小田浩二(15)東京都立秋川高校1年▽陽子(12)桐朋女子中1年=東京都世田谷区桜3ノ17ノ16ノ508、兄妹らで奈良の祖母宅へ遊びに。▽岡本豊(21)=会社員、徳島市川内町沖島、神奈川から帰省の途中。

 ▽小沢慶太(26)=横浜化成大阪営業所員、大阪市東淀川区小松2丁目、東京の実家から戻る途中。

 ▽小沢孝之(29)=ノードソン大阪営業所社員、豊中市新千里西町2ノ24、東京日帰り出張の帰り。

 ▽越智良子(28)=株式会社ワールド社員、東京都港区元麻布3ノ10ノ23、大阪へ出張。

 ▽長田鎮吾(81)=青山学院大常務理事、西宮市北名次町6ノ40、自宅へ帰る途中。

 ▽大幸義典(43)=貿易会社社長▽妻節子(36)▽長男数弥(13)香港日本人学校中学1年▽長女綾子(12)同小学6年=一家4人で香港在住。

 ▽角野恭三(45)=角野刃物専務、和泉市鶴山台2丁目8ノ4、日帰りで東京出張の帰途。

 ▽柏谷伸一郎(25)=大阪三宝電機社員、神戸市東灘区岡本8ノ2ノ18、社用を終え、東京の友人宅に寄っての帰途。

 ▽柏原喜弘(38)、妻幸子(38)、愛子(12)、勇太(6)=フジカラー新日本営業部長、川西市南花屋敷1ノ4ノ5、同僚家族の4人とともに科学万博へ行っての帰り。

 ▽柏崎幸彦(32)=チッソ大阪営業所社員、滋賀県守山市吉身町221、上司の葬儀に出席した帰途。

 ▽片岡三千雄(37)、妻純子(30)、長女麻季(4)=日通関西支店営業部員、奈良市大宮町2丁目、夏休みで、一家で神奈川県の純子さんの実家へ帰省した帰り。

 ▽片桐右弼(41)=生け花みささぎ流副家元、堺市陵西通2丁1ノ5、東京へけいこをつけに行っての帰り。

 ▽勝見隆(32)=東京都新宿区北新宿1丁目。

 ▽勝浦和男(37)=住友重機勤務、千葉市長沼町、父の初盆で徳島県板野町へ帰省中。

 ▽加藤ヒロユキ(21)=飲食業、東京都新宿区、休暇で旅行。

 ▽加藤典子(20)=エース・サングリーン伊丹店社員、尼崎市富松町2丁目、旅行帰り。

 ▽川上君子(34)▽長男竜太郎(8)市立鴨居小3年▽長女紗也子(5)▽次男陽之介(5)、長女と次男は双子=横須賀市鴨居3、会社員信行さん(35)の家族。

 ▽久保克彦(44)=マルニ特殊家具営業課長、品川区東五反田2丁目(単身赴任)、出張を兼ねて和泉市鶴山台3ノ8ノ303の実家に帰る途中。

 ▽児玉洋介(20)=大学生、岡山県苫田郡加茂町桑原、夏季アメリカ留学からの帰途。▽金井孝(51)=会社員、堺市少林寺町西3丁2ノ3、盆の帰省途中。▽川井徹夫(48)=自営業、泉佐野市笠松1丁目8ノ12、出張帰り。

 ▽川北京子(22)=三井物産大阪支店、池田市畑、私用で東京へ出かけていた。

 ▽河口博次(52)=大阪商船三井船舶神戸支店長、芦屋市松浜町。

 ▽川口富士子(23)=東京女子医大3年、東京都新宿区西新宿4ノ7ノ17、岡山市内の実家へ帰省の途中。▽川口寿(40)=山崎建設社員、大阪府高槻市西冠2ノ4ノ9、帰省。

 ▽川上英治(41)、妻和子(39)、長女中学1年慶子(12)、次女小学1年咲子(7)=会社員、島根県簸川郡大社町、一家で北海道旅行の帰路、大阪の姉を訪ねる途中。

 ▽川崎格(41)=松下電器製品開発推進センター副参事、箕面市箕面2ノ8ノ18ノ20。

 ▽河瀬尋文(24)=会社員、貝塚市木積961、友人と東京ディズニーランドへ行っての帰り。

 ▽河添千里(59)=日新電機専務、西宮市柏堂町6ノ17ノ301、東京出張の帰り。

 ▽川戸利文(60)=兵庫県赤十字血液センター製剤課長、神戸市東灘区渦森台2ノ6ノ507、東京出張の帰り。

 ▽河原道夫(63)=歯科医、兵庫県城崎郡城崎町桃島。

 ▽貴志治(44)▽妻真理子(35)▽長女絵里子(7)▽長男論(4)=日本タイプ製造大阪事業所技術課長の一家、千葉県市川市東菅野3ノ14ノ10、単身赴任していた治さんが帰京、家族全員で大阪に引っ越しの途中。

 ▽河野浩子(30)=会社員、大阪市東区法円坂1ノ5ノ1ノ11、休暇で東京の親類宅へ行っての帰り。

 ▽神林展明(33)=日下部電機社員、明石市和坂2丁目、イラン出張の帰途。


 ▽鹿島弘(65)=兵庫県歯科医師会長、神戸市東灘区御影町郡家下山田。

 ▽菊地仁(31)=会社員、大和市草柳1ノ22ノ1、ルックハイツ大和。

 ▽岸本智佳子(23)=幼稚園教諭、豊岡市畑上、東京旅行の帰り。

 ▽吉備雅男(45)=塩野義製薬次長、箕面市大字粟生間2515ノ32、東京出張の帰り。

 ▽菊地豊(43)=自営業、船橋市西習志野2ノ16ノ9、妻の実家へ家族を迎えに。

 ▽木田一男(47)=住友銀行調査第1部長、大阪府池田市旭丘1ノ10ノ2、東京出張の帰り。

 ▽木内静子(17)=大阪府立住之江高校2年、大阪市住之江区南港。同級生の山岡知美さんといっしょに旅行し、帰る途中。

 ▽岸本典子(27)=会社員、大阪市西区南堀江1ノ18ノ27、休暇で友人宅へ遊びに行った帰り。

 ▽久保和子(43)=大阪市立苅田小学校教諭、3年担任。同市西区南堀江2ノ3ノ4ノ905、近畿日本ツーリストの3泊4日東北ツアーからの帰り。

 ▽国武宜孝(43)=味の素ゼネラルフーヅ伊丹工場総務課長、箕面市粟生外院244ノ1、東京へ日帰り出張の帰路。

 ▽小西宏(52)=インテリア「サンコー」社長、神戸市東灘区岡本9ノ3ノ13、日帰り出張の帰途。

 ▽工藤由美(24)=主婦、埼玉県草加市瀬崎605ノ1、神戸市東灘区の実家に結婚後半年目の里帰り。

 ▽栗山良治(51)=会社員、吹田市上山手町2ノ7、出張の帰り。

 ▽栗本雄彦(21)=法政大4年、和歌山市の実家へ帰省途中。

 ▽栗原崇志(33)、妻陽子(29)、祥(1)=池田市神田1ノ22ノ2ノ302。崇志さんは阪大助手。栃木県下の実家へ里帰りし、帰阪途中。

 ▽国永昌彦(52)=松下電器貿易総合企画室長、寝屋川市成田東町6ノ12、東京出張の帰り。

 ▽黒田康弘(45)=三精輸送機勤務、大阪市住吉区。

 ▽小宮勝広(42)=マナセプロダクションチーフマネジャー、千代田区飯田橋2丁目、坂本九さんに同行中。

 ▽小谷敏一(37)▽妻かよ子(32)▽長女小学3年友美(8)▽次女幼稚園児朝美(5)=三洋電機北条工場勤務、兵庫県加西市鎮岩町。

 ▽小谷昭則(36)=団体職員▽妻洋子(29)▽長男小学1年直也(6)▽長女真理(2)加西市鎮岩町。親類の小谷敏一一家と万博帰り。

 ▽小西義員(58)=阪急電気工事技術部長、西宮市西平町6ノ30、東京出張の帰り。

 ▽木場貞夫(51)=ダイハツ工業参与、川西市向陽台3ノ5、東京出張の帰り。

 ▽小西英雄(45)=自営業、八尾市東弓削2丁目、仕事で東京方面へ行った帰り。

 ▽児玉英里(42)=阪急電鉄社員、茨木市竹橋町13ノ7、東京出張の帰り。

 ▽小林法久(43)=会社社長、大宮市蓮沼305ノ3、隠岐へ帰省の旅。

 ▽小谷房次郎=栄光美術専務、箕面市粟生新家544。

 ▽小宮敏幸(27)=松下電器九州特機営業所勤務▽妻悦子(25)、福岡市南区向野1ノ15ノ25、大阪府下の実家へ帰省の途中。

 ▽近藤芳城(63)=神菱電機製造会社海外部勤務、大阪市淀川区東三国3丁目、輸出先の中国から製品を買い入れるグループの来日準備のため、外務省に出かけた日帰り出張。乗客名簿では、同僚が乗る予定だったが母親の病気のため、出張できなくなり、代理の近藤さんが遭難。

 ▽西条善博(43)=大阪府茨木市山手台5ノ4ノ7、日本圧着端子販売会社社員、出張帰り。

 ▽斉藤真由美(20)▽姉直美(23)=会社員、羽曳野市南恵我之荘2丁目、趣味の絵の展覧会を見ての帰り。

 ▽酒井由雄(27)=大阪市阿倍野区橋本町8ノ30、安田生命社員、出張帰り。

 ▽榊原勝(52)=ヤマト金属会社社長、奈良県北葛城郡香芝町逢坂942。

 ▽酒田哲雄(35)=竜奥興業工事課長、伊丹市御願塚3ノ8、東京出張の帰り。

 ▽雑古祐紀代(19)=聖心女子大2年、兵庫県西宮市西平町7ノ3、帰省。

 ▽佐田弘(53)=会社員、東京から大阪へ単身赴任中。東京出張の帰り。

 ▽佐藤マサ子(37)=東京都台東区谷中3ノ17ノ16、コーポ石川103、主婦、大阪の姉の家へ行く途中。

 ▽佐藤保久(44)=野村証券大阪支店営業総務部長、大阪市北区鶴野町4、コープ野村梅田、単身赴任で休暇の帰途。

 ▽佐藤陽太郎(53)=衣服小売業、川西市緑台6ノ2ノ27、東京へ日帰り出張。

 ▽佐藤早苗(39)=大相撲伊勢ケ浜親方の妻、東京都文京区白山5ノ7ノ14、長男、長女とともに帰省途中▽長男喜彦(12)文京区第10中1年▽長女公由江(10)文京区明化小5年。

 ▽塩田芳郎(60)=第1薬工販売社長、大阪市住吉区苅田3ノ8ノ28、東京へ日帰り出張。

 ▽滋賀喜作(45)=伊藤忠商事大阪鋼板部長、枚方市楠葉美咲3ノ7ノ4、東京出張の帰途。

 ▽清水さえみ(29)▽富士子(7)▽宗典(1)=東京都中野区東中野2ノ19ノ5、ホステス。お盆で帰省したらしい。

 ▽四方修文(39)=阪急電鉄社員、宝塚市逆瀬台1ノ8ノDノ515、東京出張の帰り。

 ▽四方秀和(22)=会社員、京都市左京区下鴨下川原、今春、同志社大を卒業、休みを利用、東京の友達に会いに行っていた。

 ▽志間和則(30)=医師、福岡市内で勤務医をしていて先月、東京に転勤。盆の帰省途中。

 ▽島野佳男(40)=三栄化学工業色素企画課長代理、茨木市上穂積3ノ3ノ4、東京へ日帰り出張。

 ▽島田拓夫(47)=東海会社取締役、東京都小平市上水本町1300ノ17、商用。

 ▽志水則昭(49)=兵庫県赤十字血液センター職員、神戸市垂水区神和台1ノ22ノ2、出張帰り。

 ▽下村寛治(47)=日経新聞大阪本社経済部長、伊丹市西台3ノ8ノ16ノ401、東京へ日帰りで出張した帰途。

 ▽柴田宏(54)=ネクタイ問屋社員、吹田市竹見台2ノ1ノCノ2ノ102、夏休みで帰省途中。

 ▽白井克己(52)=段ボール製造会社「昭栄」社長、川崎市川崎区中瀬3ノ14ノ11ノ602。商用で出張。

 ▽島本喜内(61)=オリエント測器レンタル社長、東京都大田区東雪谷3ノ10ノ10。

 ▽吹田暁子(40)=主婦、豊中市西緑丘1丁目、東京の姉の家に寄って帰る途中。

 ▽住本啓示(28)=北里大学医学部生、神奈川県相模原市南台3ノ8ノ42、大阪経由で三重県の実家に戻る途中。

 ▽白井信吾(47)=ダイハツ工業特機部課長、奈良県生駒市、会社は夏休みだが、商談で東京へ日帰り出張。

 ▽白井俊雄(56)=住金溶接工業常務、西宮市甲子園浦風町8ノ17、東京出張の帰途。
v  ▽白井マリコ(26)=日本航空大阪支店、豊中市。

 ▽白石憲市郎(37)=白石電機、大阪府高槻市高西町16ノ2、東京出張からの帰り。

 ▽白坂達也(40)=カメイ東京支店石油部販売課長兼大阪出張所長、東京都千代田区大手町2ノ3ノ6。出張の途中。

 ▽新垣芳男(43)=丸善社員▽長女裕子(11)、大阪府泉南郡阪南町箱の浦2604ノ432、父は沖縄より東京へ出張、東京のおばの家に遊びに来ていた長女と合流し帰郷の途中。

 ▽末川久信(59)=高砂鉄工取締役大阪支店長、大阪府豊中市寺内1ノ10ノ22日商岩井緑地公園第2マンション602号、東京本社に出張の帰り。

 ▽須永和美(35)=丸紅香港会社駐在員、横浜市港北区大豆戸町、夏休みで一時帰国中。

 ▽須貝和郎(38)=電通大阪支社クリエイティブ局参事、神戸市灘区篠原台8ノ47、出張帰り。

 ▽鈴木秀(50)=松下電工東京支店、大阪府枚方市西楚野2ノ31ノ5、帰省中。

 ▽陶山林邦(50)=会社員、豊中市東豊中5丁目、日帰りで東京出張の帰り。

 ▽瀬良直司(37)=私立親和女子高教諭、兵庫県明石市西明石町5ノ3ノ31、修学旅行の下見からの帰り。

 ▽千田周平(47)=大阪総業社長▽妻典子(47)▽長女、聖心短大2年美樹(20)とトンガ方面へ家族旅行の帰途。西宮市苦楽園四番町5。

 ▽曽田秀治(56)=川商不動産、大阪府箕面市桜井1ノ24ノ34、東京出張からの帰り。

 ▽園田ショウ子(24)=保母、大阪府貝塚市三ツ松西之町、友人とディズニーランドからの帰り。

 ▽田代豊(34)=会社員、東京都江戸川区東葛西5丁目11ノ15、妻佐智子(36)、長女香織(9)、長男佳幹(8)の一家4人で和歌山市の親類宅へ行く途中。

 ▽高杉正行(47)=第一勧業銀行大阪支店次長、西宮市花園町8ノ30、東京の本店へ日帰り出張。

 ▽谷間寛(43)=公認会計士、芦屋市浜町7ノ8、インド洋セーシェルの国家財政の助言に行って帰る途中。

 ▽高橋晟(51)=BASFジャパン大阪事務所、大阪市東淀川区東中島4丁目、東京本社での会議を終えての帰途。

 ▽滝井百合子(21)=全日空大阪支店勤務、大阪府箕面市桜ケ丘3丁目、東京へ友人と旅行に出かけた帰り。

 ▽田中滋(44)=田中建築設計事務所社長、西宮市南昭和町8。日帰り出張。

 ▽立花佑治(41)、桂子(40)=スナック経営、東京都墨田区八広2ノ45ノ4。

 ▽竹島伸幸(25)=会社員、神戸市東灘区田中町2丁目、10日から出張。

 ▽谷口正勝(41)=チッソ株式会社ポリプロ繊維部主任、大阪市北区中之島3ノ6ノ32、東京へ日帰り出張の帰途。

 ▽滝下裕史(11)=入新井第5小6年、東京都大田区大森北3ノ30ノ13。大阪の親類に遊びに行く途中。

 ▽竹永修司(24)=日立製作所多賀工場勤務、日立市国分町2ノ1。寝屋川市へ帰省途中。

 ▽田中透(23)=中央設計、東京都練馬区北町8ノ4ノ10、旅行。

 ▽田淵陽子(24)=早川司法書士事務所勤務、大阪市都島区大東町2丁目12ノ16。妹の会社員満(19)と淀川中3年純子(14)で科学万博や東京ディズニーランドを見物した帰り。

 ▽多々良千代美(19)=日立自動車部品販売勤務、大阪市都島区大東町3丁目3ノ5ノ307、科学万博などに旅行しての帰り。

 ▽田村美穂子(19)=会社員、尼崎市大物町2ノ59。友人と科学万博に。

 ▽立花昇(40)=住友精密工業社員、出張から帰る途中。

 ▽竹内誠一(26)=日本理容美容専門学校美容科教員、大阪市生野区鶴橋2ノ5ノ24、大貫マンション、研修を終え帰宅途中。

 ▽竹原春平(45)=会社員、川西市清和台東1丁目5ノ31、日帰り出張の帰途。

 ▽田畑肇也(22)=日大4年、和歌山市の実家へ帰る途中。

 ▽田中稔夫(55)=日本特殊電線常務、大阪市天王寺区大道3丁目1ノ13、出張の帰途。

 ▽武内芳子(23)=日本航空国際線スチュワーデス、兵庫県伊丹市千僧野末1ノ422、ホノルルからの帰り。

 ▽武田澄子(41)=飲食店経営、八尾市陽光園1ノ9ノ15、東京の友人宅へ遊びに行った帰り。

 ▽竹下元章(48)=群馬県高崎市貝沢町1150ノ4、甲子園大会に出場している東京農大二(群馬)の竹下政宏投手の父。16日の熊本西戦の応援に行く途中。

 ▽田中愛子(26)=高校教師、神戸市長田区若松町10丁目。

 ▽田中一文(35)=私立親和女子高教諭、加西市両月町250ノ2、修学旅行の東北地方下見の帰り。

 ▽館(たち)征夫(42)=会社員、神戸市灘区桜ケ丘町、出張の帰途。

 ▽高橋康悦(54)=会社員、埼玉県川越市野田町2ノ16ノ59、大阪へ出張。

▽高曲康夫(29)=松下電器貿易自動車機器課主任、保谷市下保谷4ノ16ノ6の同社独身寮

 ▽三好恵子(28)=家事手伝い、保谷市富士町6ノ9ノ2。2人は婚約者同士。東大阪市の高曲家に向かう途中。11月にハワイで挙式予定だった。

 ▽高坂行雄(26)=ディスコ「マハラジャ」従業員、東京都渋谷区広尾4ノ1ノ10ノ1005。大阪市の実家に戻る途中。

 ▽高橋徹=会社員、東京都千代田区内幸町1ノ1ノ2、大阪の本社に出張。

 ▽大門義信(46)=会社員、堺市西野320ノ29、本社の会議に日帰り出張

 ▽大福由樹(23)=会社員、西宮市今津曙町。出張の帰り。

 ▽辻昌憲(39)=島野工業レーシングチーム主任、東京五輪自転車選手。河内長野市小山田73、東京へロードレースの打ち合わせに行った帰り。

 ▽鶴町昭雄(35)=日本アイ・ビー・エム大阪事業所システム室勤務。大阪市住之江区南港中4丁目。出張帰り。

 ▽塚原幹夫(31)=双栄通商石英特販部営業課長、千葉県市原市山田橋100ノ1ノ84ノ1ノ7。大阪本社へ出張中。

 ▽塚原仲晃(51)=大阪大学基礎工学部教授、大阪府箕面市桜井2丁目3ノ14、2、3日前から東京へ行っての帰り。

 ▽辻寛太郎(48)=会社員、箕面市桜井、東京出張の帰途。

 ▽堤大志(31)=中商事常務、東京都大田区東糀谷4ノ4ノ6、大阪本社へ出張で行く途中。

 ▽出原昭一=丸紅合樹製品管理部長、大阪府泉南郡熊取町小垣内、東京の会議で出張。

 ▽堂本裕子(32)=主婦、東京都杉並区松庵3ノ17ノ21。長女智琴ちゃん(6)と長男智晶ちゃん(3)を連れて、実家へ行く途中。

 ▽土岐竜幸(26)=山崎建設社員、東京都杉並区高井戸、富山市水橋沖94の実家へ帰省の旅。

 ▽徳満博愛(40)=ツクダ第2関西店店長、宝塚市山本丸橋4ノ7ノ3、出張の帰り。

 ▽土居高子(19)=大学生、東京都小金井市貫井南町3ノ2ノ23、大阪府枚方市の下宿先に帰る途中。

 ▽富田真理(21)=芦屋大学3年、甲府市国母2ノ4ノ19の実家から帰る途中。

 ▽土居満代(42)=大月真珠勤務、神戸市東灘区魚崎北町3丁目、東京出張。

 ▽徳田浩康(46)=第一勧銀大阪支店外国為替課長、鎌倉市城廻443の6、大阪に単身赴任で、東京出張の帰り。

 ▽豊島良紀(33)=東邦商事営業部次長、堺市三国ケ丘町2ノ1ノ13、日帰り出張の帰途。

 ▽豊島富美男(34)=衣料品卸売会社パリス社員、兵庫県川辺郡猪名川町伏見台4丁目2ノ36、日帰りで東京支社に出張。

 ▽徳丸信広(45)=松下電器勤務、枚方市養父元町7ノ6、厚木出張の帰途。

 ▽塔本正吾(47)=島野工業、堺市八田寺町90、出張。

 ▽戸室泰太(40)=三菱電機半導体事業部製品企画グループ主幹、川西市湯山台2丁目24ノ1、東京へ日帰り出張の帰り。

 ▽富岡享(46)=チッソポリプロ繊維事業部主席、滋賀県甲賀郡甲西町菩提寺、上司の葬儀の帰途。

 ▽中島あつ子(33)▽香奈子(4)▽美菜子(7カ月)=日本航空国際代理店販売部第3課課長補佐、吉盛さんの家族。川崎市宮前区宮崎2ノ12ノ6宮崎台公園スカイマンション506。吉盛さんは出張先のホノルルから13日に帰国予定。

 ▽名池和男(55)=食品問屋副社長、川崎市麻生区東百合ケ丘1ノ21ノ2、大阪本社へ社用で出張。

 ▽内藤実(33)=日本交通公社三宮支店勤務員、吹田市千里丘中、修学旅行担当係長で、親和女子高教師と東北方面下見の帰り。

 ▽中井敬(28)=大林組開発企画部、三鷹市深大寺3774、大林組三鷹寮、西宮市の実家へ帰省。

 ▽長岡明男(24)=ユニバーサル証券大阪支店大阪管理部勤務、東大阪市旭町22ノ27、同社瓢箪山寮、休暇で東京都内の実家へ行っての帰り。

 ▽中島博(37)=日本アイ・ビー・エム大阪事業所営業部勤務、神戸市東灘区御影町郡家字下山田、東京出張の帰り。

 ▽中西稔剛(38)=日本特殊電線工場次長、大阪市西区南堀江1丁目18ノ27、四ツ橋セントラルハイツ、日帰り出張の帰途。

 ▽永田昌令(53)=電通クリエイティブ局ディレクター、西宮市大浜町1ノ41ノ308、出張帰り。

 ▽中田加代子(38)、美加(12)=大塚製薬鳴門工場情報管理課長美徳氏の妻と長女、徳島市北島町、里帰りの帰路。

 ▽中尾重喜(45)=日祥取締役大阪支店長、兵庫県川西市向陽台2ノ8ノ25、東京での葬儀の帰り。

 ▽中川秀則(40)=チッソ大阪営業所課長代理、滋賀県草津市大路2ノ5ノ15、東京での葬儀の帰り。

 ▽中野絵理子(23)=神戸市東灘区深江南町2ノ8ノ32。

 ▽中野忠男(34)=京阪交通社海外旅行業務係、西宮市上ケ原五番町6ノ26、東京支店にこの朝商用で出張。

 ▽中尾富幸(58)=中央商事大阪営業所長、四条畷市南野2、会議のため東京へ日帰り出張。

 ▽中野肇(63)=阪神電鉄専務、宝塚市仁川宮西町5ノ27。

 ▽中別府弘(48)=日本金銭機械取締役事業部長、大阪市平野区平野宮町1丁目、商談で東京へ日帰り出張の帰途。

 ▽中村政昭(18)=高校3年、高槻市日吉台六番町、大学受験の下見に上京し帰阪途中。

 ▽中村健児(52)=栗田整備常務、横浜市西区宮ケ谷25ノ2、三ツ沢ハイタウン3ノ606、大阪の部長会に出張の途中。

 ▽中島誠(38)=日本アイ・ビー・エム社員、横浜市緑区たちばな台2ノ3ノ44、出張中。

 ▽中川英二(38)=新日本電機製作所社長、八尾市恩智中町2丁目325、陽光ハイツ、東京出張の帰り。

 ▽中上岑子(38)=主婦、奈良県吉野郡下市町下市。長男で下市中1年義哉(12)、長女で下市小4年佳代子(10)の3人で東京にいる姉の所に行き、おいとめいの小田浩二(15)、陽子(12)の2人を連れて帰る途中だった。

 ▽永富信義(40)=会社員、豊中市春日町3ノ10ノ7、妻勝子(40)、長男の市立14中1年孝典(12)の3人で東京の勝子さんの父の1周忌に出ての帰り。

 ▽中山健(52)=エムエフ情報システム常務、寝屋川市太秦東が丘7ノ10、東京へ日帰り出張。

 ▽長井秀人(26)=会社員、東京都国分寺市西町2ノ9ノ7、ビジネス。

 ▽長岡正通(37)=東京都北区豊島2ノ25ノ5、飛栄産業(不動産)開発部長、社用で出張。

 ▽西井正樹(27)=横浜市緑区しらとり台3ノ4、新日本気象海洋勤務。

 ▽西山俊江(26)▽学(4)横浜三育幼稚園▽顕光(2)=スナック経営の西山聖次さんの妻、横浜市中区柏葉。

 ▽新田改三(26)=会社員、大阪市住吉区長居東三丁目、商談のため日帰りで東京へ。

 ▽西川忠男(42)=住友精密工業社員、吹田市山手町4丁目18ノ1、出張で東京へ行っての帰り。

 ▽西川耕司(36)=三田技術コンサルタンツ社員、大阪市港区弁天3丁目9ノ17、科学万博へ行っての帰り。

 ▽西口昌子(25)=OL、大阪市阿倍野区北畠2ノ11ノ29、婚約者のK・マシューズさんとイギリス旅行の帰り。

 ▽西川博之(28)=警視庁碑文谷署勤務(巡査部長)、東京都武蔵野市西久保、大阪の親類の法事出席のため。

 ▽西村庄二(52)=世田谷区奥沢1ノ30ノ13、阪急百貨店取締役有楽町店長、大阪本社へ出張の途中。

 ▽西山竜夫(33)=象印マホービンデザイン室員、京都府相楽郡加茂町加茂台1ノ13、東京出張の帰り。

 ▽新田温子(42)=会社員、西宮市上甲東園1丁目18ノ11。

 ▽沼倉愈勇=まさお=(43)、会社員、明石市藤江。

 ▽沼田清(54)=池田市畑3ノ4。

 ▽野口豊(38)=日本育英会大阪支所主任、大阪市北区天神橋4丁目、日本育英会の会議で東京へ出張した帰り。

 ▽野中哲人(42)=常盤ステンレス工業営業主任、羽曳野市伊賀、東京の得意先に日帰り出張の帰途。

 ▽能仁千延子(22)=会社員、徳島県那賀郡那賀川町黒地193、今春上智大を卒業して都内で就職。帰省の途中。

 ▽野上幸雄(33)=エース・サングリーン庄内店社員、尼崎市南塚口町3丁目、旅行帰り。

 ▽早川宏(44)=森脇工機社員、泉南市信達岡中、東京出張の帰り。

 ▽服部征夫(42)=鹿島建設大阪支店勤務、奈良県生駒郡平群町若葉台、渡米打ち合わせのため上京しての帰途。

 ▽橋詰真治郎(54)=ふじしろ幼稚園園長、吹田市藤白台4丁目、東京での日本私立幼稚園連盟の会議からの帰途。

 ▽長谷川鉄治(45)=富士電機関西支社機器営業部長、豊中市東泉丘1丁目、東京本社での打ち合わせの帰り。

 ▽半田春海(56)=大三金属工業東京支店長、東京都千代田区内神田3ノ5ノ5、大阪に商用。  ▽半田啓三(40)=洋裁仕立業、西宮市能登町。

 ▽長谷川俊介(30)=会社員、実家は和歌山市元寺町、東京へ出張した帰り。

 ▽花川忠彦(55)=大阪府立西野田工高定時制教頭、羽曳野市南恵我野荘8ノ9ノ16、「全国高校定時制通信制教育研究協議会」に出席しての帰り。

 ▽橋本礼子(28)=事務員、岸和田市今木町、11月に結婚するため「独身最後の旅行を」と同僚と2人で科学万博を見に行っての帰り。

 ▽林拓也(19)=喫茶店アルバイト、東京都新宿区西新宿4ノ2ノ8、和歌山の実家に帰省。

 ▽原田敬久(28)▽妻恵(23)=シャープ電子部品営業本部員、東京都調布市東つつじケ丘3丁目、コーポもとき。新婚3カ月、初めて大阪府堺市内の夫の実家へ里帰り。▽林正典(45)=日本包装運輸社長、西宮市苦楽園二番町16ノ27。

 ▽林義明(44)=松下電器産業ビデオ事業部課長。大阪府交野市天野ケ原町1ノ22ノ2、東京都目黒区内の関連工場に出張しての帰り。

 ▽蛭田律子(33)▽次女舞(1)=西宮市高須町1丁目、お盆で東京の実家に帰省しての帰り。

 ▽平野一(29)=天理教職員、天理市田部町。

 ▽東谷志郎(36)喫茶店経営▽妻敏子(36)▽長女の小学校5年亜紀子(10)=大阪市平野区瓜破西2丁目、ディズニーランドへ行った帰り。

 ▽樋畑進二(42)=オリエント・リース住宅事業部大阪営業課長、豊中市新千里東町2ノ6A43ノ304、東京出張の帰り。

 ▽布施喜徳(28)=ジャパンサービス社員、大阪市浪速区幸町2、父の3回忌で千葉へ帰省の帰り。

 ▽日永田利美(34)▽真左子(31)▽真由美(7)=埼玉県川口市川口2丁目2ノ17ノ43、祖母の初盆で福岡県筑紫野市の実家へ帰省途中。

 ▽房谷清茂(56)=阪急電気工事鉄道技術部次長、大阪市阿倍野区天王寺北、東京に日帰り出張。

 ▽深水諌(43)=会社員、大阪府池田市八王寺1ノ8、出張。

 ▽藤原美代子(50)=主婦、東京都新宿区若葉1ノ18、神戸に住む母の白内障の手術(13日)に立ち会うため。

 ▽藤島克彦(47)=電通大阪支社、西宮市満池谷3丁目、東京出張から帰る途中。

 ▽藤井利夫(55)=光洋商事常務、大阪府泉南郡阪南町尾崎285ノ26、東京本社へ日帰り出張。

 ▽藤本正裕(23)=会社員、宝塚市野上6丁目。

 ▽布施正行(32)=セントラルエキスプレス社員、西宮市郷免町5、実父の3回忌で千葉県の実家に帰省しての帰途。

 ▽福田清一郎(51)▽3女典子(7)=日刊スポーツ新聞社事業部長、高槻市富田町1ノ15ノ8、ディズニーランドに行っての帰り。

 ▽福田慎一(27)=同和火災海上保険勤務、横浜市神奈川区神木台1ノ27、出張。

 ▽福田武(56)=浪速エンジニアリング社長西宮市甲子園春風町7。

 ▽古川剛(12)=小学6年生、大阪市東区北新町1ノ13▽古川恵美子(15)=中学3年生、東京都中央区晴海、2人はいとこ同士。恵美子さんのへ遊びに来ていた剛君が、恵美子さんと大阪へ帰るところだった。

 ▽藤倉嘉郎(43)=三洋電機近畿販売社員、東大阪市宝持4ノ4ノ23、ディズニーランドを見物した帰り▽長女洋子(16)=高校2年▽次女智子(13)=中学2年

 ▽藤原米雄(58)=常盤薬品工業薬事渉外部長、和歌山市中之島天王町874、東京へ日帰り出張。

 ▽堀内幸一(54)=京葉電気計装勤務、千葉市今井町1ノ9、大阪の実家に帰省中。

 ▽細川順治(54)=証券新報社社長、横浜市港南区日野、自宅から単身先の大阪へ。

 ▽本郷晴喜(41)=本郷電器常務取締役、大阪市福島区福島7ノ3、出張の帰り。

 ▽本田寧(38)=電通大阪支社第2営業局参事、西宮市松園町1ノ26、東京へ出張しての帰り。

 ▽堀岡竜夫(52)=奥村組土木興業営業部長、八尾市亀井町1丁目、東京出張の帰り。

 ▽増田照雄(53)=会社役員、大阪府吹田市日出町、単身赴任先の東京からお盆休みで帰省途中

 ▽益田和彦(49)=会社員、奈良県生駒市東生駒月見町、東京での上司の葬儀に参列した帰り。

 ▽増田勇生(26)=会社員、千葉市天台2丁目10ノ4、呉市へ帰省の途中。

 ▽増田了一(38)=日本シー・アンド・シーシステムズ取締役部長、豊中市東豊中町4ノ1ノ45ノ319、東京への日帰り出張の帰途。

 ▽前瀬泰吾(18)=青山レコーディングスクール学生、東京都世田谷区、和歌山県海草郡美里町の実家へ帰省。

 ▽牧園弘志(37)=会社員、茨木市総持寺台、社長と一緒に東京へ日帰り出張の帰り。

 ▽前田真智子(39)=主婦、和歌山市吉田、▽長女の大新小1年春奈(6)。母子で福島県いわき市に行っての帰り。

 ▽前田光彦(33)=松下電器ゼネラルオーディオ事業部首都圏営業課係長、大宮市上小町318ノ106、大阪に帰省途中。

 ▽松本亜規子(21)=日本航空国内線スチュワーデス、東京都品川区旗の台2ノ1ノ24、盆休みで松山市畑寺1ノ4ノ18の実家に向かう途中。

 ▽松元美智代(23)=松下電器社員、大阪市港区波除5ノ4ノ18、友人とディズニーランド見物の帰途。

 ▽松下優子(23)=看護婦、豊岡市庄境、東京旅行の帰り。

 ▽松尾敏明(37)=阪急交通社労組委員長、大東市三箇3ノ1ノ16、日帰り出張。

 ▽松尾省一(35)=電通大阪支社、大阪市天王寺区寺田町1丁目、東京出張から帰る途中。

 ▽増永忠彦(67)=無職、東京都千代田区永田町、あいさつ回りに行く途中。

 ▽前田光俊(58)=兵庫県歯科医師会専務理事、神戸市垂水区美山台3丁目、会長といっしょに日本歯科医師会との連絡業務で日帰り出張。

 ▽巻田進(35)=丸住製紙印刷用紙課長、茨木市紫明園7、東京の会議から日帰り。

 ▽松本圭市(29)=阪急電鉄から東京の民鉄協に出向中、埼玉県狭山市、帰省途中。

 ▽水落哲子(52)=親和女子高校英語教師、明石市西明石西町1ノ19ノ5。

 ▽箕田一行(38)=ダイシン産業東京出張所長、大阪市福島区鷺洲3丁目、単身赴任先から帰宅途中。

 ▽南慎二郎(54)=松下電器産業システムエンジニアリング本部企画担当参事、東京在住、打ち合わせのため本社へ出張の途中。

 ▽溝端令子(25)=西宮市鳴尾町5丁目、武庫川高校教諭。

 ▽宮奥誠一(52)=会社員、奈良市帝塚山南4丁目2。

 ▽三崎洋(48)=積水樹脂課長、池田市伏尾台1ノ15ノ5、東京出張の帰途。

 ▽宮根将行(45)=テキスタイルデザイナー、和歌山市和歌浦中1丁目2ノ10、仕事で日帰りの予定。

 ▽美谷島健(9)=小学3年生、東京都大田区南久が原2ノ31ノ6、夏休みで大阪のおじさん宅へ遊びに行く途中。

 ▽村山和子(38)=お盆休みを利用して北九州市若松区へ向かう途中。

 ▽村上良平(43)=富士電機サービス課、千葉県柏市布施新町2丁目、東京から大阪へ出張のため。

 ▽森明子(19)=学生、尼崎市蓬川町。

 ▽森田麻美(22)=松下電器電化調理事業部、尼崎市塚口本町7ノ2ノ25、同僚と東京ディズニーランドへ行っての帰り。

 ▽本道代(19)=松下電器会社社員、大阪市此花区伝法6丁目、週末から東京ディズニーランドなどへ遊びに行った帰り。

 ▽森良一(36)=白石電機工業設計課長、大阪市城東区今福西4丁目、取引先と打ち合わせのため東京へ出張した帰り。

 ▽森秀樹(48)=ミダス取締役西日本営業部長、加古川市加古川寺家町177ノ17、東京へ日帰り出張。

 ▽森中槙夫(46)=日下部電機社員、奈良市山陵町373ノ27、イラン出張の帰途。

 ▽八木橋昭信(33)=MSTコンサルタンツ、神奈川県横浜市南区唐沢10、大阪への出張の途中。

 ▽山城栄賢(35)=会社員、那覇市出身で東京在住、帰省途中に甲子園で高校野球を観戦するために、乗り合わす。

 ▽山本幸男(48)=ミサワホーム専務取締役、東京都杉並区浜田山3ノ16ノ5、大阪での会議に向かう途中。

 ▽山本明美(30)=会社員、茨木市郡山2丁目、友人と2人でつくば博へ行った帰り。

 ▽矢田万由利(43)=主婦、豊中市石橋麻田町、娘と2人で東京方面へ旅行。

 ▽矢田千晶(23)=会社員、豊中市石橋麻田町、母と2人で東京方面へ旅行。

 ▽矢野嘉宏(25)=矢野組工業専務、岸和田市西大路町107ノ8▽妻敦子(27)▽長男忠祐(2)10日から東京ディズニーランドに観光に行っての帰り。

 ▽山崎章(47)=住友金属工業製鋼品条鋼技術部主任部員、川西市水明台2ノ1ノ53、東京出張の帰途。

 ▽保川隆(21)=早大理工学部4年、東京都中央区、堺市三原台3丁目の実家に帰省途中。大学院に進学予定だった。

 ▽安田侃(49)=三栄化学工業色素研究室長、豊中市千里園1ノ29ノ29、東京へ日帰り出張。

 ▽山登道雄(45)=サントリーデザイン室勤務、川西市大和西5ノ19ノ5、商用で東京へ出張、もう1本遅い便の予定だったが……。

 ▽山田エツ子(42)=主婦、東京都中野区弥生町5ノ23ノ7ノ405、友人と会うため。

 ▽山本仁之(44)=山本産業社長、大阪府大東市諸福5ノ20ノ5、東京出張の帰途。

 ▽山本昌司(27)=サントリー勤務、茨木市西中条町、約1週間前から東京に出張した帰り。

 ▽山本謙二(49)=山本化学合成専務取締役、八尾市刑部1ノ170、東京出張の帰り。

 ▽山岡智美(16)▽薫(13)=高校2年生、中学2年生、大阪市住之江区御崎町1丁目、姉妹とその友人3人で東京の知人宅へ遊びに行っての帰路。

 ▽芳崎務(50)=会社員(RKB毎日放送テレビ営業副部長)、川西市大和東3ノ4ノ2、出張の帰り。

 ▽吉崎優3(38)▽妻博子(34)▽長男充芳(9)▽長女美紀子(8)▽次女ゆかり(6)=中央宣興大阪支社営業部長、芦屋市若葉町、5人で東京の実家からの帰り。

 ▽矢田敏雄(49)=川崎製鉄社員、船橋市前原東3ノ7ノ7川崎製鉄寮内、夏休みで帰省途中。

 ▽矢野正数(50)=逗子市池子3ノ12ノ5。三菱電機電子事業部参事。出張。

 ▽湯川昭久(56)=住銀総合リース副社長、目黒区上目黒3ノ29ノ20、上目黒シティーハウス6号。

 ▽吉岡秀次(59)=恵徳幼稚園勤務、東大阪市新池島町3ノ5ノ2▽妻美代子(55)▽孫秀倫(8)=市立池島小3年▽同佐幸(7)=同1年の4人で10日から東京ディズニーランドを観光しての帰り。

 ▽吉田哲雄(35)▽仁美(28)▽有紗(3カ月)=練馬区早宮2ノ25ノ13。

 ▽吉川元啓(32)=ホテルセイリュウ常務取締役、東大阪市上石切町1ノ11ノ12、東京出張の帰り。

 ▽吉田由美子(24)=女優、元宝塚雪組のスター、横浜市戸塚区東上郷町2ノ10。

 ▽吉田知太(29)=電通大阪支社第2営業局主事、池田市住吉2丁目、東京出張の帰り。

 ▽吉村謙之助(65)=光洋商事副社長、西宮市常盤町7ノ20、大阪本社から東京本社へ日帰りで出張。

 ▽吉村一男(43)=日建設計社員、横浜市金沢区釜利谷町1905ノ12、福岡へ出張。

 ▽山口勝人(36)=天藤製薬社員、千葉県市原の実家に母の葬儀のため帰省中▽妻静子(32)▽長男昌洋(5)▽長女裕子(2)、豊中市北緑ケ丘2ノ1ノ12ノ404、4人で帰省しての帰り。

 ▽山内秀樹(41)=松浦電機工業所、大阪府守口市春日町15、出張帰り。

 ▽山本敏雄(36)=チッソ社員、池田市石橋3ノ2ノ10、東京出張の帰途。

 ▽若本昭司(50)=エトー株式会社取締役営業部長、豊中市曽根南町1ノ20ノ20、東京の本店へ出張の帰り。

 ▽鷲野恵子(19)=銀行員、尼崎市崇徳院3丁目。同級生2、3人で2泊3日の予定でディズニーランドへ行った帰途。

 ▽渡辺昭夫(58)=大和紡績取締役、箕面市箕面12ノ16、東京出張の帰り。

 ▽渡利京子(23)=神戸市灘区、万博見物の帰り。

 ▽和田浩太郎(36)=東京都渋谷区桜丘町29ノ27ノ503。

 ▽和田浩伸(25)=日本興業銀行員、武蔵野市吉祥寺北町3丁目、休暇で旅行中。

 ▽サクライ・シゲコ

 ▽ソガワ・レミコ(33)

 ▽タガワ・エイジ

 ▽チバ・ヒトシ(40)

 ▽テラニシ・マサツグ(23)

 ▽ナカムラ・Y

 ■外国人■

 ▽グルック・ハラルド(34)=西ドイツ、貿易商。

 ▽J・クラウベルト(50)=BASFジャパン常務、神戸市灘区上野通3ノ10ノ30、東京からの出張帰り。

 ▽葉瑞祥(37)=西独貿易会社日本支店長、西宮市熊野町8ノ13、西独人社長を東京に迎え、ともに西宮市へ向かう途中。

 ▽K・ムカージー▽T・ムカージー=ニューデリーの会社員と妻。旅行と商用を兼ねて先週来日した。

 ▽ワード・ウォラック=日航の委託契約社員で、英会話の講師。

 ▽エドワード・アンダーソン(48)、マイク・ハンソン(40)=2人とも米国コロラド州デンバー市、化学薬品会社スタンズ・カタリティック社員。12日来日、大阪市北区の関連会社に商用で行く途中。

 ▽S・チャウチャリア=39歳ぐらいのインド人。カルカッタのアセチレン会社副社長。商用で来日中。

 ▽キンブル・マシューズ=会社員、イギリス。

 ▽金玉子(42)=韓国系アメリカ人金鍾旭・中央日報大阪支社長の妻▽長男クリストファ(16)ソウル外国人学校高校課程2年▽次男スコット(14)同中学課程2年

 ▽KK・リー(男)、SL・タム(男)、LK・チュン(女)、CD・ユン(女)=香港の実業家グループ。7日に商用と観光を兼ねて来日。

 ▽ジャンカルロ・モローニ、アンドレア・モローニ(17)=ミラノ市からこの春、商用で来日したイタリア人父子。大阪へ商談に向かう途中。

 ▽安時懊(52)=マツタケなどの輸出業、ソウル特別市竜山区二村洞新竜山アパート、商用で来日中。

 ▽鄭順徳(46)=川崎市麻生区、大阪の友人に会いに行く途中。

 ▽リー・ヒー・キョアン(21)=大阪市東住吉区。

 ■日航乗員氏名■

 【機長】高浜雅己(49)=千葉市宮野木町

 【副操縦士】佐々木祐(39)=千葉県四街道市みそら2丁目

 【航空機関士】福田博(46)=千葉県佐倉市井野

 【チーフパーサー】波多野純(39)=千葉県船橋市海神5丁目

 【アシスタントパーサー】木原幸代(30)=東京都荒川区西尾久4丁目▽赤田真理子(31)=港区南青山2丁目▽藤田香(28)=渋谷区恵比寿南2丁目▽宮道令子(30)=品川区南大井1丁目▽対島祐三子(29)=目黒区青葉台1丁目▽吉田雅代(27)=品川区荏原4丁目▽海老名光代(28)=横浜市南区永田山王台35

 【スチュワーデス】白拍子由美子(25)=世田谷区代沢1丁目▽大野美紀子(26)=市川市南八幡3丁目▽大野聖子(24)=練馬区桜台3丁目▽波多野京子(24)=世田谷区桜1丁目

事故の経過


緊急事態発生

18時24分(離陸から12分後)、相模湾上空を巡航高度の24,000ft (7,200m) へ向け上昇中、23,900ftを通過したところで緊急事態が発生する。突然の衝撃音と共にJA8119型機の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破壊され、補助動力装置も喪失、その際にハイドロプレッシャー(油圧操縦)システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、操縦システムに必要な作動油が全て流れ出して、油圧を使用したエレベーター(昇降舵)やエルロン(補助翼)の操舵が不可能になってしまう。

フゴイドやダッチロールを起こした機体は迷走するとともに上昇、下降を繰り返すものの、クルーの操縦により17分間は20,000ft (6,000m) 以上で飛行を続ける。18時40分頃、空気抵抗を利用する降下手段としてランディング・ギア(車輪などの降着装置)を降ろした後、富士山東麓を北上し、山梨県大月市上空で急な右旋回をしながら、高度22,000ftから6,000ftへと一気に15,400ft (4,600m) も降下し、横田基地まで24kmの至近距離に至る。

その後、機体は羽田方面に向かうものの、埼玉県上空で左旋回し[※ 9]、群馬県南西部の山岳地帯へと向かい始める。123便は衝撃音発生から墜落までの間、破片を落としながら飛行していたようで、相模湾と墜落現場だけではなく、東京都西多摩郡奥多摩町日原でも機体の破片が発見されている。その奥多摩町で一般人が撮影した写真によって、JA8119型機が「垂直尾翼の大部分を失った状態」で飛行していたことが、後日初めて明らかとなった。

客室内の状況

機内では衝撃音が響いた直後に、各座席に酸素マスクが落下し、プリレコーデッド・アナウンスが流れた。乗客は客室乗務員の指示に従って酸素マスクを着用したほか、シートベルトを着用し、タバコを消すなど非常時の対応を行う。一部座席では着水に備え、救命胴衣の着用なども行われた。

波多野チーフパーサーは全客室乗務員に対し、機内アナウンスで酸素ボトルの用意を指示している。生存者の証言によれば、機内は異常発生直後から墜落までさほど混乱に陥ることはなく、全員落ち着いて行動していたという。その後、乗客は墜落時の衝撃に備え、いわゆる「不時着時の姿勢(前席に両手を重ね合わせて頭部を抱え込むようにし、全身を緊張させる)」をとって、衝撃に備えた。

乗客の中には最期を覚悟し、不安定な機体の中で懸命に家族への遺書を書き残した者が複数いた。これらの遺書は、後に事故現場から発見され、犠牲者の悲痛な思いを伝えている。一般的に墜落事故では、異常の発生から数分の余裕も無く墜落に至ることが多いが、この事故では18時24分の異常発生から30分以上にわたって飛行を続けることができたため、遺書を書く時間があった稀な航空事故である。

デッドヘッド乗務の生存者は「客室乗務員は終始乗客のサポートをしていた」と証言しており、機体後部に取り付けられていたコックピットボイスレコーダー (CVR)には幼児連れの親に子供の抱き方を指示する放送、身の回りを確認するよう求める放送、不時着を予想してか「予告無しで着陸する場合もある」との放送、「地上と交信できている」との放送が墜落直前まで記録されている。その他、一人の客室乗務員による不時着後に備えて乗客に出す指示を列挙したメモや、異常発生後の客室内を撮影したカメラが墜落現場から見つかり、マスメディアによって公開されている。

地上との交信

・18時24分42秒:JAL123便が緊急救難信号「スコーク77 (7700)」の無線信号を発信、信号は所沢の東京航空交通管制部(以下 東京ACC) に受信された。直後に高濱機長が無線で管制部に対して「緊急事態発生のため羽田へ戻りたい」と告げ、管制部はそれを了承した。JAL123便は伊豆大島へのレーダー誘導を要求した。管制部は、右左どちらへの旋回をするか尋ねると、機長は右旋回を希望した。羽田は緊急着陸を迎え入れる準備に入った。
・27分2秒:東京ACCが123便に緊急事態を宣言するか確認し、123便から宣言が出された。続いて123便に対してどのような緊急事態かを尋ねたが、応答はなかった。このため、ACCはJAL本社に123便が緊急信号を発信していることを知らせる。
・28分30秒:東京ACCは123便に真東に向かうよう指示するが、機長は「But Now Uncontroll(操縦不能)」と返答。東京ACCは、この時初めて123便が操縦不能に陥っていることを知る。
・31分14秒:東京ACCは羽田より近く旋回の必要も最低限で済む小牧市の名古屋空港に緊急着陸を提案するが、123便は羽田への飛行を希望する。航空機と地上との無線交信は英語で行われているが、管制部は123便の機長の負担を考え、母語である日本語の使用を許可し、以後の交信では、123便は殆ど日本語での交信が用いられている。
・33分頃:JALはカンパニーラジオ(日本航空の社内無線)で123便に交信を求める。
・35分33秒:123便から R-5 のドアが破損したとの連絡があった後、その時点で緊急降下しているので、後ほど呼び出すまで無線を聴取するよう求められ、JALは了承した。
・40分44秒:東京ACCが、123便と他機との交信を分けるため、123便専用の無線交信周波数を割り当てし、123便にその周波数に変えるよう求めたが、応答はなかった。
・41分54秒:逆に123便を除く全機に対してその周波数に変更するよう求め、交信は指示があるまで避けるように求めたが、一部の航空機は通常周波数で交信を続けたため、管制部は交信をする機に個別で指示し続けた。
・45分36秒:無線のやり取りを傍受していた在日米軍横田基地 (RAPCON) が123便の支援に乗り出し、123便にアメリカ軍が用意した周波数に変更するよう求めたが、123便からは「Japan Air 123、Uncontrollable!(JAL123便、操縦不能!)」との声が返ってきた。ACCが「東京アプローチ(東京国際空港の入域管制無線)と交信するか」と123便に提案するが、123便は「このままでお願いします」と返答した。
・47分10秒:123便は千葉県木更津市のレーダーサイトに誘導するよう求め、東京ACCは真東へ進むよう指示し、「操縦可能か」と質問すると、123便から「アンコントローラブル(操縦不能)」と返答がきた。その後、ACCは東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、123便は了承した。
・48分54秒:無言で123便から機長の荒い呼吸音が記録されている。 ・49分:JALがカンパニーラジオ(日本航空社内専用の無線)で3分間呼び出しを行ったが、応答はなかった。
・53分30秒:東京ACCが123便を呼び出した。123便から「アンコントロール(操縦不能)」と無線が入ってくる。ACCと横田の RAPCON が返答、RAPCON は、横田基地が緊急着陸の受け入れ準備に入っていると返答。東京ACCも東京アプローチの無線周波数へ変更するよう求め、123便が了承する。
・54分25秒:JALも呼び出しを行ったが応答はなかった。123便から現在地を尋ねられ、東京ACCが羽田から55マイル (100km) 北西で、熊谷市から25マイル (45キロメートル) 西と告げる。
・55分5秒:横田飛行場の航空管制官が、この時だけ「日本語にて申し上げます」と前置きして、東京アプローチから「羽田と横田が緊急着陸準備を行っており、いつでも最優先で着陸できる」と知らせ、航空機関士が「はい了解しました」と返答、これが123便からの最後の交信となった。その直後に東京アプローチが123便に対し、今後の意向を尋ねたが応答はなかった。その後も56分前まで東京アプローチと横田の RAPCON が123便に対して呼び出しを行ったが、応答はないままだった。
・57分:横田の RAPCON が123便に対し、「貴機は横田の北西35マイル(65キロメートル)地点におり、横田基地に最優先で着陸できる」と呼びかけ、東京アプローチも123便に対して、横田基地に周波数を変更するよう求めたが、この時既に、123便は御巣鷹の尾根に墜落していた。

コックピットと機体の状況

衝撃音がした直後、高濱機長は航空管制官への無線交信で羽田空港への引き返しを要求している。

その際、管制官の「右と左のどちらへ旋回するか?」という問いに対し機長は、羽田空港へは遠回りになる「右旋回」を要求している。このことは「海山論争」として多くの議論を呼ぶ。

コックピットボイスレコーダーの解析によると、異常発生から墜落まで、操作不能状態の操縦桿やペダルなど油圧系の操作は佐々木副操縦士、進路の巡視・計器類などの監視・パネルの操作・管制官との交信・クルーへの指示などは高濱機長、エンジンの出力調整・緊急時の電動によるフラップとギアダウン、JALとの社内無線交信、さらに副操縦士の補助は福田航空機関士がしていたと推測されている。異常発生直後から油圧操作の効果がほとんどないにもかかわらず繰り返し操縦桿での操舵を試みるなど、クルーは操縦不能になった理由を最後まで把握できていなかった模様である。尾翼部分はコックピットからは目視できないため、パイロットは油圧系統全滅を認識しながらも油圧での操縦を試みている。

ボイスレコーダーには18時24分12秒から18時56分28秒までの32分16秒間の音声が残っている。近年、オリジナルに近い音声で元同僚パイロット協力のもと解析した結果、不明だった部分のうち16箇所が明らかになった。初めに残っていた音声は「最初の衝撃音」直前の客室とコックピットとのやり取りだった。本来当時のコックピット・ボイスレコーダーは30分の1/4インチ・エンドレステープレコーダー(始点と終点のない輪になったテープを巻いて用いるもの)であったが、30分を超える録音が残っているのは、テープに余分があったためである。
18時24分35秒頃、ボイスレコーダーに何らかの衝撃音が録音されている。衝撃音直後に機長の「まずい、なんか爆発したぞ」という発言が記録されている。直後にオートパイロットが解除され機体(エンジン、ランディング・ギア等の表示)の点検が行われ、4つのエンジン、ランディング・ギア等に異常がなかったが、航空機関士が「ハイドロプレッシャー(油圧機器の作動油の圧力)を見ませんか」と提案する。25分、機長はスコーク77を発信し東京航空交通管制部に羽田へ引き返すことを要求した。無線交信の後、機長が副操縦士に対し「バンク(傾き)そんなにとるなマニュアル(手動操縦)だから」「(バンクを)戻せ」と指示する声が記録されている。しかし、副操縦士は「戻らない」と返答した。その際、航空機関士が油圧が異常に低下していることに気づいた。26分、機長は副操縦士に「ディセンド(降下)」と指示するが、直後に機長の「なんでこうしないんだ」あるいは「なんで降下しないんだ」とも聞き取れる発言が録音されている。27分、異常発生からわずか3分足らずで全ての油圧の喪失を示したとみられる「ハイドロプレッシャーオールロス(油圧全て喪失)」という航空機関士の音声が記録されている。

同じ頃、客室の気圧が減少していることを示す警報音が鳴っているため、とにかく低空へ降下しようとした。しかし、ほとんどコントロールができない機体にはフゴイド運動やダッチロールが生じ、ピッチングとヨーイング、ローリングを繰り返した。そのため、墜落の瞬間まで頻繁に「頭(機首)下げろ」「頭上げろ」という指示が記録されている。

31分頃、航空機関士に対し客室乗務員から客室の収納スペースが破損したと報告が入る。33分、航空機関士が緊急降下(エマージェンシー・ディセンド)と同時に酸素マスク着用を提案、35分、羽田空港にある日航のオペレーションセンターとの交信では航空機関士が「R5のドア(機体右側最後部のドア)がブロークン(破損)しました」と連絡している。

37分、機長がディセンド(降下)を指示するが機首は1,000m余りの上昇や降下を繰り返すなど、不安定な飛行を続けた。38分頃、これを回避するためにランディング・ギアを降ろそうとするが、油圧喪失のため降ろせなかった。40分、パイロットはランディング・ギアの自重を利用してギアを出すバックアップシステムを用いてこれを降ろした。この操作によって機体は右に大半径で旋回しながら降下し、同時にロール軸の振幅が縮小して多少安定した。

46分、高濱機長の「これはだめかも分からんね」との発言が記録されている。やがて機体は山岳地帯上空へと迷走していき、47分頃からは彼らの中でも会話が頻繁になり、焦りが見え始めていた。右、左との方向転換が繰り返し指示される中で、操縦している副操縦士に対して機長が「山にぶつかるぞ」と叫ぶなど、緊迫した会話が数回記録されている。この時機体は6,000ft (1,800m) 前後をさまよっていた。48分頃には航空機関士が、操縦する副操縦士に「がんばれー」と励ますとともに、たびたび副操縦士の補助をしていた様子が記録されている。この頃からエンジン出力(パワー)の強弱で高度を変化させる操縦を行い始めたと思われる。機長の機首下げの指示に対して副操縦士は「今舵いっぱい」と返答している。

49分頃、機首が39度に上がり、速度は108kt (200km/h) まで落ちて失速警報装置が作動した。この頃から機体の安定感が崩れ、何度も機首の上げ下げを繰り返した。この間、機長が「あーダメだ。終わった。ストール(失速する)」と発言するまでに追い詰められながらも、諦めることなく「マックパワー(エンジン出力全開)、マックパワー、マックパワー」などと指示し続ける音声が残っている。50分、「スピードが出てます スピードが」と困惑する副操縦士に機長が「どーんといこうや」と励ます音声が残っている。機長の「頭下げろ、がんばれがんばれ」との励ましに対して副操縦士は「今コントロールいっぱいです」と叫んでいる。この頃速度が頻繁に変化し、不安定な飛行が続いていたために、副操縦士が速度に関して頻繁に報告をしている。51分、依然続くフゴイド運動を抑えるために電動でフラップが出され、53分頃から機体が安定し始めた。

54分、クルーは現在地を見失い、航空機関士が羽田に現在地を尋ね、埼玉県熊谷市から25マイル西の地点であると告げられる。その間、しばらく安定していた機体の機首が再び上がり、速度が180kt (330km/h) まで落ちた。出力と操縦桿の操作で機首下げを試みたが機首は下がらなかった。55分01秒、機長は副操縦士にフラップを下げられるか尋ね、副操縦士は「はいフラップ-10(今10度下がっているという意味)」と返答し、フラップを出し機体を水平に戻そうとした。

しかし55分12秒、フラップを下げたとたん、南西風にあおられて機体は右にそれながら急降下し始める。55分15秒から機長は機首上げを指示。43秒、機長が「フラップ止めな」と叫ぶまでフラップは最終的に25度まで下がり続けた。45秒、「あーっ」という叫び声が記録されている。50秒頃、機長の「フラップみんなでくっついてちゃ駄目だ」との声に混じって副操縦士が「フラップアップフラップアップ」と叫び、すぐさまフラップを引き上げたがさらに降下率が上がった。この頃高度は10,000ft (3,000m) を切っていた。56分00秒頃、機長がパワーとフラップを上げるよう指示するが航空機関士が「上げてます」と返答する。07秒頃には機首は36度も下がり、ロール角も最大80度を超えた。機長は最後まで「あたま上げろー、パワー」と指示し続けた。

墜落

クルーの必死の努力も空しくJA8119機は降下し続け、18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。同17秒頃にはわずかに機首を上げて上昇し始めたが、同23秒に右主翼と機体後部が樹木と接触し、衝撃で第4エンジンが脱落した。このとき、機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は346kt (640km/h) に達していた。

接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に70度傾いた。同26秒には右主翼の先端が稜線に激突し、衝撃で右主翼の先端と垂直・水平尾翼、第1・第2・第3エンジンが脱落、さらに同28秒には機体後部が分離した。機体は機首を下げながら前のめりに反転してゆき、18時56分30秒に高天原山の斜面にほぼ裏返しの状態で衝突、墜落した。18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。23秒の衝撃音の直前には“PULL UP (上昇せよ)”との警告音に混じって機長の「あーダメだ」もしくは「もうダメだ」とも聞き取れる叫び声が記録されていた。ボイスレコーダーに録音されていた音声は、後に活字で公表されたが、この叫び声は判読不能とされていた。

墜落時の衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほど破壊され、離断した両主翼とともに炎上した。一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇跡的に生還できた。だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった。

事故の経過


JAL123便として飛行していたJA8119機の飛行記録装置 (DFDR) と音声記録装置 (CVR) は、墜落現場から回収された。これらのデータによって、異常事態発生後のJA8119型機の飛行の様子が明らかになった。

パイロットの操縦

パイロットたちは、JA8119機に発生した異常についてその直後に感知したが、垂直尾翼や機体後部の損傷状態については最後まで認識できなかった。

同機に発生したフゴイド運動とダッチロールは、機首上げ角度20度 - 機首下げ15度、機体の傾き右60度 - 左50度の動きを周期的に繰り返すもので、大きな動揺にさらされた。パイロットたちは油圧が失われた状況のもと、エンジン推力を増減し、また、降着装置(ランディング・ギア)を降ろすことで空気抵抗を増大させ、機体の安定を図った。これらの操縦によってフゴイド運動の軽減と高度を下げることに成功した。しかし、ダッチロールの軽減や針路のコントロールはできなかった。

異常発生の20分後には高度7,000ftまで降下したが、そのころ同機は進路を北西に変え、群馬県南西部の山岳地帯へと向かっていた。油圧不動作の代替手段として電動でフラップを展開したが、機体に大きな傾きが生じた。機首を下げて急降下し始めたため、パイロットたちはエンジン推力を増加させ機首を上げようとした。わずかに機首が上がり始めたが間に合わず墜落した。

客室内の様子

機内では衝撃音が響いた直後に酸素マスクが落下し、プリレコーデッド・アナウンスが流れた。乗客は酸素マスク・シートベルトを着用し、救命胴衣の着用なども行われた。生存者の証言によれば、機内は異常発生直後から墜落までパニックに陥ることはなく、ほぼ全員が落ち着いて行動していたという。幼児連れの親に向けての子供の抱き方の指示や、「予告無しで着陸する場合もある」「地上と交信できている」などの放送が墜落直前までCVRに記録されている。

また、墜落までの間に複数の乗客が家族への遺書を残しており、その他にも不時着後に備えて乗客に出す指示をまとめた客室乗務員によるメモや、異常発生後の客室内を撮影した乗客のカメラが墜落現場から見つかり、マスコミによって公開されている。

事故発生からちょうど29年にあたる2014年8月12日にフジテレビジョンで放送された特番で、生存した女性(夫、長男、長女、次女と搭乗し本人と長女が生還)が当時の状況を手記にしたため紹介されている。その中にあった新たな証言によると、乗客の幾人かは失神した状態だったという。

パイロットの操縦

18時28分頃、千葉県愛宕山の航空自衛隊中部航空警戒管制団第44警戒群(通称「嶺岡山レーダーサイト」)でも、123便の緊急事態を表す「スコーク7700」を受信した。ただちに直属部隊である中部航空方面隊に報告され、航空救難で中心的な役割を果たす航空自衛隊の中央救難調整所 (RCC:Rescue Coordination Centre) が活動を開始。18時56分、嶺岡山レーダーサイト当直司令は123便が墜落したと判断して、中部航空方面隊司令部にスクランブル待機中のF-4EJファントムによる緊急発進を提案した。19時01分、提案を了承した基地司令官の指示で、百里飛行場よりF-4戦闘機が離陸した。

東京航空局東京空港事務所(羽田)は、123便の緊急事態発生を受けて東京救難調整本部 (Tokyo RCC) を開設し、同機の緊急着陸体制を整えた。その後、東京管制部のレーダーから消失(18時59分に受領)という事態となり、東京救難調整本部は、防衛庁、警察庁、消防庁、海上保安庁などの関係機関に通報(19時03分)し、123便の捜索に当たった[j 1]。一方、レーダー消失直後は、まだ同機が低空飛行を続けている可能性も残されていたため、管制や社内無線からの呼びかけも続けられた。

事故機の発見

墜落から約20分後の19時15分頃、米空軍のC-130輸送機が、群馬・長野県境付近の山中に、大きな火災を発見と上空位置での横田TACAN(タカン)方位(305度)・距離(34マイル)を航空自衛隊中央救難調整所に通報。19時21分ごろ、航空自衛隊の百里基地を緊急発進したF-4戦闘機の2機も、墜落現場の火災を発見して、上空位置での横田タカン方位(300度)・距離(32マイル)を通報した。これらの航空機が通報に利用した「横田TACAN」とは、設置された極超短波電波標識(超短波全方向式無線標識)などを基準にした方位と距離から、現場の上空位置を搭載の距離測定装置で測定したものである。本来これらの設備や機器は、航空機の航法用として用いられており、この墜落現場の位置報告は正しい情報であった。

墜落から約1時間後の19時54分に、救難・救助のため見切り発進した百里基地救難隊のKV-107ヘリコプターは、46分後の20時42分に現場上空に到着した。20時33分になって、救難調整本部(東京空港事務所長)から航空自衛隊へ航空救難の要請(災害派遣要請)が行われた。しかし、当時のKV-107救難ヘリは、両側面のバブルウィンドウ横に救難用ライト4灯を装備して夜間の救難作業は可能だったが、赤外線暗視装置などの本格的な夜間救難装備の無いことなどを理由に、事故当夜の救難員が降下しての救助活動は行われなかった。

後日追記


アクシデントニュースとは

 当サイトは過去に起こった事件・事故等をわかりやすくまとめて掲載するサイトです。